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カテゴリ:08読書(フィクション)
「魔王」の発表が2004年の12月。小泉という時代の申し子が自民党に歴史的な大量得票を与えた一年前に、伊坂はこれを書いた。犬養という歯に衣をを着せぬ言動で急激に人気急上昇中の野党政治家について、主人公の安藤はこのように言う。「国民は犬養の思うがままに誘導される。説明もないのに、いいように解釈して、物分りがよく、いつの間にかとんでもないところに誘導される。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」「仕方ないよ。こんな状況なんだし」となんて思っているうちに、とんでもないことになる。」
今回の伊坂のテーマは「政治」である。 この文庫収録の安藤弟が主人公の続編「呼吸」では、犬養は首相になっていて、国民投票がテーマになる。 「魔王」伊坂幸太郎 講談社文庫 (「BOOK」データベースより) 会社員の安藤は弟の潤也と二人で暮らしていた。自分が念じれば、それを相手が必ず口に出すことに偶然気がついた安藤は、その能力を携えて、一人の男に近づいていった。五年後の潤也の姿を描いた「呼吸」とともに綴られる、何気ない日常生活に流されることの危うさ。新たなる小説の可能性を追求した物語。 主人公が冒頭のようなことを言っていたからといって、この小説は反ファシズムを訴えた作品だと判断すると、いつものように読者はどこかに置いてけぼりを食うだろう。だけど、単にゲームのように愉しめばいいのだ、と思っている読者がいたら、やはりそれも置いてけぼりを食う。 言い換えれば、この微妙な匙加減が、伊坂幸太郎という小説家が現代に受けている秘密なのだろうと思う。伊坂はなかなか本音を見せない。そしてとても頭がいい。そしてとても誠実である。一言で言えば、現代的に「やさしい」のである。 伊坂の立ち位置はどこか。 私はそれを見つけたような気がした。 主人公の兄弟の言葉ではなく、弟の奥さんのこの言葉がそうなのではないか。少し長いが、引用したい。 「ムッソリーニの話なんだけど」店を出て、会社まで歩いているところで、蜜代っちが言った。 「犬養?」 「ううん、今度は本物のムッソリーニ」彼女は笑う。「ムッソリーニは最後、恋人のクラレッタと一緒に銃殺されて、死体は広場に晒されたらしいんだよね」 「あらら」 「群衆がさ、その死体につばを吐いたり、叩いたりして。で、そのうちにね死体が逆さにつるされたんだって。そうするとクレラッタのスカートがめくれてね」 「あらら」 「群集はさ、大喜びだったんだってさ。いいぞ、下着が丸見えだ、とか興奮したんじゃないの。いつの時代もそういうノリなんだよ、男たちは。いや、女たちもそうだったんだろうね。ただ、そのときにね、一人ブーイングされながら梯子に昇って、スカートを戻して、自分のベルトで縛って、めくれないようにしてあげた人がいたんだって」 「あらら」私は言いながらも、そのときのその人の立つ状況を思い浮かべ、その度胸に圧倒された。「それはまた勇敢な」お前はその女の肩を持つのか、と罵倒され、暴力をふるわれても文句が言えない場面だったのではないか。 「まあ、実話かどうかわからないけど、なんだか偉いなあ、とは思うのよね」蜜代っちは大切なものに息を吹きかけるような口ぶりだった。「実は、わたしはいつも、せめてそういう人間にはなりたいな、と思っていたんだ」 「スカートを直す人間に、ってこと?」 「ほかの人が暴れたり、騒いだりするのはとめられないでしょ。そこまでの勇気はないよ。ただ、せめてさ、スカートがめくれているのくらいは直してあげられるような、まあ、それは無理でも、スカートを直してあげたい、と思うことぐらいはできる人間でいたいなって、思うんだよね」 この人気絶頂の時期に、敢えて、小泉人気に棹差すような小説を、しかしスカートを直すだけの小説を、しかし影響力ははあるからとても効果的な反ファシズムの小説を作る、それが伊坂幸太郎の立ち位置なのだ。この小説の50年後の世界、「モダンタイムズ」が上梓されたという。どういう小説なのだろう。興味はあるがやはり文庫になるまで待つんだろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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