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自由を愛したぺラギウス修道士(教父)の名にちなんで自由な「聖書」の読書(解釈)をしてます。「あなたの頑な信仰に害を与えることがありますので注意しましょう」。基本解釈は「キリスト教神学入門」マクダラスなどを読みましょう。(当サイトは勧誘・献金はしません。なお、聖書の部分以外は基本的に日記文学です。また、ウイルスを拾う悪質なリンクサイトに気を付けて下さい)。
カテゴリ:宗教\/キリスト教自由主義
来週の聖書日課
「私はまことのぶどうの木」 ヨハネ福音書 口語訳1955 15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 15:2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいにな さるのである。 15:3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 15:4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことがで きないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶように なる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 *** 私の済む地方の峠向こうには日本有数のぶどうの栽培地域があり、登山の帰りに寄ったりします。ワイン産地でもあり、世界的に有名な銘柄があります。 うちにも父が苗を植えましたが、私が棚を作る時間がなく、一部原生林のようになってしまいました。 ぶどうは棚作りとか、枝をかなり間引きしないと、ドキュメンタリーや映画に出てくる風景にならないようです。 さて、今日の箇所はそのぶどう畑・園の話です。 イエスの喩え話には農業に関係するものも多く出てきます。ここからイエスと農業の関わりを重視する新約研究者もいるが、当時はまだ、自給自足の度合いも高かったから、兼業大工といったところなのだろうと思われます。農業の他に宣教中はガリラヤ湖での漁の手伝いもしていたかもしれません。 ナザレの村の葡萄畑や麦畑、草を食む羊が浮かびます(観光農園、共同体?)。 イエスも葡萄畑で働きながら、木々眺めていたと思います。 自分につながってなさい、と語ります。 イエスに連なるというのは十字架への道を考えるとある意味厳しい言葉ですが、大切な教えです。 ヨハネの教会周辺では、先に述べたような地上で自然と人々と生きるイエスを軽視して神格化されたいわば心霊的なキリスト像が流行り、イエスとのつながりが重んじられているようです。教会もぶどう畑と同じく多少形作りがいるようです。 わたしたちもガリラヤで人々と共に生きたイエスとつながり、キリストとして受け入れたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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