擬似
最近の缶コーヒーって、味似たり寄ったりじゃない?のっけから缶コーヒーの開発の方々に石を投げられそうな発言から始まりましたが今日は缶コーヒーの考察をしてみようと思います。まず誤解をしないように言っておきたいんですが、私村田は缶コーヒーをよく買います!・・・お、投げられる石の数が減ってきたような気がします。更に言うと、新発売の缶コーヒーを見かけたらほぼ必ず買ってしまいます!!・・・おぉ、大分、石の数が減りました。私はコンビニによく立ち寄るんですけど、トイレを借りたり立ち読みをしたりするとどうにも店員さんに申し訳がなくなって「これで許してね」的に缶コーヒーを買ってしまう情けない性分があるのです。我ながら見事な小心者っぷりである。ううぅ・・・。いやまぁそんな訳で缶コーヒーをけっこう飲んでいる村田ですが、やっぱり思うのです。缶コーヒーはあんまり美味しくないと。おーおー、石が雨のように降ってくる。ここで終わってはただの缶コーヒー批判なのでもう少し続けることにしましょう。なぜ、缶コーヒーはマズイのか!もうすぐドリップコーヒー歴1年になる村田が考えた結果出した答えが・・・「缶コーヒーは珈琲じゃないから」これに尽きました!あ、あ、石投げないでください、まだ話はこれから。人の味覚は千差万別ですが、ここでは村田の味覚を対象にして話を進めていきます。日本の各種珈琲の美味しさを不等号で端的に表すとこんな感じになります。挽きたてドリップ珈琲>>>(超えられない壁)>>香味焙煎>>>缶コーヒー挽きたてドリップ珈琲の美味しさが格別なのは語るまでもなく当然のことですがさておき、この不等号で表した表ですが、実は「手間」に置き換えても成立するのです。つまり挽きたてドリップは手間がものすごーくかかり、缶コーヒーは手間が全くいらないのです。言い換えると「手間をかけてないのだからマズくて然るべき」とも取れますが見方を変えると「住み分けが出来ている」とも取れるのです。言うまでもなく日本人の多くは「缶コーヒー」を飲んだことがあります。村田みたいに新商品が出るとついつい買ってしまう人も少なくありません。ですが挽きたてドリップを飲んだことがある日本人となると、缶コーヒーのそれと比べて極端に少なくなります。この差はなぜか?様々な要因がありますが、その中でも特に自動販売機の全国的普及が大きな要因であると言えるでしょう。誰でも100円で飲めるコーヒー、しかも缶のデザインもいいしテレビCMも流れている。しかもちょっとオトナな雰囲気も醸し出せる・・・みたいに敷居がとても低い缶コーヒー。対して豆を挽く道具からお湯を注ぐヤカンまで買って、一回ごとにフィルターを変えなくてはならないし淹れるの手間だし場所取るし一度に大量に作れない挽きたてドリップコーヒー。どちらが普及するかは火を見るより明らかですね。そして普及した缶コーヒーで、日本人のコーヒーに対する認識が固まってしまいました。やがて缶コーヒーにもブランドが出来上がり、各社が鎬を削って販売戦略を展開する現在に至るわけですが、ぶっちゃけると味そのものは昔とあまり変化がないと言えるでしょう。「缶に密閉し、味の変化が長時間起きないようにすること」「子供の味覚も考慮した、甘い味わいをベースに」みたいな制約があるかのような枠に嵌った味しかしないのが缶コーヒーです。では、缶コーヒーで挽きたてドリップコーヒーのような味が出せないのか?と疑問に思う方もいるかと思います。しかし現実は残酷でそんなことは不可能です。この缶コーヒー戦国時代、できるんならとっくにどこかの企業がやっているでしょうしね。挽きたてドリップコーヒーには最高に美味しい瞬間があります。もちろん挽きたてで淹れ立てがそうですが、その瞬間は長くは続きません。その大きな理由として酸化が挙げられます。時間の経過と共に珈琲が別モノになっていくんですね。あと再加熱、つまり温めなおしをしても味が劣化します。珈琲はとてもデリケートなのです。真空保存だろうがなんだろうが、珈琲の美味しさは留めておくことができません。それゆえに美味しさが際立つとも言えますけど。なので缶コーヒーはあくまで「缶コーヒー」であって「珈琲」ではないのです。でもまぁ村田は、缶コーヒーはさほど美味しくないと思っているけど、よく買います。前述したコンビニの件もありますが、なんというかデザインがいいんですよ。缶コーヒーは。内容量も丁度良く、少しの喉の渇きを潤すのにもピッタリだし。うまく住み分けできているな~と感心して、今日も缶コーヒーを買うのでした。