テーマ:web 日記について(36)
ある人が楽天日記で、「議論は意味がない 議論で、人の意見を180度に変えることなど出来ないのだから」と、再三おっしゃる。
確かにそういう側面はある。 不毛な議論、罵倒の交換が多い。 そういうことはじゅうぶん認めた上での意見だが、私は、人間が人間であるゆえんは、自分なりの意見を持っていることと、それを表明することであり、それをネット上、または直に、語り合う(必ずしも議論と言わなくてもいいと思う)ことを通じて、民の声・民の意見で成り立つ民主主義が成り立つひとつの支えになる、と思っているので、Msk222さんの日記に共感のコメントをした。 むしむし また、考古学者のartaxerxesさんのサイトではこう言うことを書いた。 ―――――― 日本国民がそれぞれの意見を持つことは当然で、それを出来るだけ表明するべきだと思うのです。 自由意志の民意のない民主主義なんて意味がありませんから。 ただし、私は本件(安倍・中川両大臣の政治介入疑惑)で、田中真紀子長女プライバシー問題を思い出しました。 現在の「平和」憲法上、言論の自由権は個人のプライバシー権より上位にあります。 私は、ごぞんじの通り、平和憲法に対しては改憲の要がありと思う者です。 国民の安全と平和を守るべき国家が軍隊・交戦権を持たないで、現状の世界情勢で、東アジアの緊迫した(将来はさらに緊迫しますよね)状況で、どう国民を守れるのでしょうか? 観念的平和論なんて、米軍の存在をあてにしていながら、その上で丸腰の(またはそれに近い抑制論)平和をとなえるというアンフェアーな主張だと思います。 言論の自由無くして民主主義は健全に機能しません。 その思想如何を問わず、原則として言論の自由は保証されるべきですね。 もし、安倍・中川両氏が事前検閲的なアクションをとったとすれば(敢えて「もし」と申し上げますが)、これは言論の自由への重大な侵犯・抑圧ですし、権力の乱用です。 あくまで報道への評価は国民の審判にまかせられるべきです。 私は楽天広場上でのノーテンキな「観念的平和論」に警鐘(批判とも言う)を鳴らし続けている人間ですが、言論の自由の抑圧には断固反対です。 人間はその思想・言論の自由を保障されなければいけない、それが人間にとって最も重要なことだと思うからです。 ・・・といいながら、さりながら・・・、現状の国防の緊急性(例えば北朝鮮の核テポドン)と、民主主義という極めてまどろっこしい不確かな民意を組み上げるシステムの遅効性を思うと、・・・ついつい過激なプロセスを考えてしまいます。 その辺の整合性を日記を書きながら考えて行きたいと思うのですが。 ―――――― なあなあで、仲よくすることだけが人間の生き方だとは思わない。 私もネット上では、いろいろ議論や話し合いをした。 私も傷つくことがあったし、相手を傷つかせたことも多かった。 ただその中で私が間違ったと思うことは、しばらく間をおいてだが、素直に、時には平身低頭,謝っている。 それに、こういう話し合いを通じて、自分の気がつかなかったことに関して「気づき」を得ること、語り合い議論する中で自分の意見がそれなりにまとまってきたり、少し進歩したりする。 運がよければ、かなりの相互理解があり得る。 それよりも、もっとも大切なのは、時の権力や、一部の不気味な圧力団体に対して、自由な、覚醒した、良識のある、権力に屈しない意見の存在が確としてある、と言うことを知らしめることだと思う。 独裁国家ならともかく、民主主義の世の中で生きて行く人間には、そういう責務があると思う。 それを避ける、怠る人間は、民主主義の恩恵に対して、「ただ乗り」だと言われてもしょうがないのではないだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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