A to Z of SCI
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全8件 (8件中 1-8件目)
1
職人が好きです。職種は限定しません。自分の身体を使ってきっちりと仕事をする人を尊敬します。昭和の鉄道100周年記念番組(TVドラマシリーズ)「大いなる旅路」の一場面を覚えています。 第 2 次大戦後、日本国内の操車場、外国人(進駐軍?)が機関車から降りてきて言います;「日本の機関車は性能が低い。連結時の衝撃が大きすぎる」その場にいた日本人技師が反論します;「そんなことはない。俺がやってみせる」彼は離れた貨車の連結部に煙草を立て、機関車を近づけます。連結しても煙草は倒れません。衝撃ゼロだったのです。日本の機関車を批評したその外国人は、母国の自分の職場で使い慣れた機関車を使えば、衝撃ゼロ連結ができるのでしょうか。英語にもことわざがあります;"A bad workman (always) blames his tools. 《諺》 へたな職人はいつでも道具のせいにする""What is a workman without his tools? 《諺》 道具なしの職人はなんの役に立とうか 《何事にも手段が要る》""Give us the tools, and we will finish the job. 道具をくれれば片付けてみせよう 《第 2 次大戦中 Churchill が言ったせりふ》"最後のChurchill が言ったせりふは彼が首相という最高位にあるから許されるのです。一議員や一軍人が同じことを言えば、無能の烙印を押され、すぐにお払い箱です。代わりはいくらでもいます。道具を手足のように使うという表現がありますが、手足も道具です。ケイソンの実感です。ADLが上手くないのは麻痺している手足のせいです。それでも頼りは自分の手足だけです。健常の手足をくれれば片付けてみせよう、などと言っても意味がありません。 目の前の道具を、自分の身体を、使いこなさねば。道具の仕組みを知って、道具の使い方を知って、使い方を身体に覚えさせて、これがそのまま道具の改良になると。
2008.07.31
海に浮かんで空を見上げていたい。イメージするのは、一度だけ行ったことのある、夏のマルセイユ沖です。前向きでもなく上向きでもない妄想に囚われた時は、このイメージに逃げ込みます。妄想には一年中悩まされていますが、首から上が暑苦しく不快な夏は格別です。海に浮かんで空を見上げていれば、目を開けることが前を見ることであり上を向くことです。横を比べることも、下を見下すことも、後ろを振り返ることもありません。海に浮かんで空を見上げていれば、暑くもなく寒くもなく、痺れもなく痛みもなく、乾きもなく息苦しさもなく、障害を気にすることもなく社会を気にすることもなく、過去に縛られることもなく未来に縛られることもなく、、、これではまるで死後の世界です。あくまでも、一時的な避難ということで。
2008.07.30
"ダムの目的は水を貯めることなので、ダムの大小は貯水量で決まる。しかし、ダムが水を貯め始めたときから砂も貯まり始めるので、経年的に貯水量は減少する。このことを知っている技術者は、ダム本体の下部に砂を排出するためのゲートを準備している""備えあれば憂いなし"と言います。何事にも準備を怠らない方ですが、脊髄損傷だけには何の準備もしていませんでした。仮に、来週四肢麻痺のケイソンになると教えられても、準備のしようもありません。しかし、脊髄損傷の恐ろしさと受傷原因を知っていれば、それを避ける生き方も選べたでしょう。ここに悔いが残ります。加齢による体力低下に備えなければ。技を身体に覚え込ませたのが職人。常に人並み以上の技が使えるのが名人。この体でなぜあの技が使えるのかと他人に思わせたら達人。歳をとっても今と同じ動きを望むのなら、さらにケイソンで歩きたいのなら、術のような何かが必要です。神秘的でなく合理的な何かが。3ヶ月後の帰省に備えなければ。空港までの行き方は二通り経験済みです。鉄道は私が疲れますし、自家用車は妻が疲れます。鉄道とタクシーかリムジンバスを組み合わせたいところです。この春の身体能力であれば、タクシーや低床式バスは大丈夫です。しかし、リムジンバスに多いハイデッカーを使うとなると、弱り切った身体を春の状態に戻した上に、更にレベルアップが必要です。3ヶ月しかありません。明日の車いすベッド間移乗に備えなければ。相変わらず鍛錬はさぼっているし、ストレッチャーでなくベッドだし、スタッフは限られているし、大丈夫だろうかと思うだけで準備は間に合いません。
2008.07.28
生活の最も基礎となる条件が衣食住です。脊髄損傷で生きるとなると、次の三つも大事です。「医」汗もかけず自力での排泄もおぼつかないケイソンが生きていけるのは進んだ医療技術のおかげですが、医療制度のほころびは私にもわかります。"A stitch in time saves nine.《諺》 適当な時にひと針縫えばあとで九針の手数が省ける 《手遅れを戒める》"医師不足は行政の責任です。救急車の不正利用や病院代の不払いは劣化した日本人の所業ですが、逃げ得を許しているのは行政の責任です。現実の問題を処理する政策と将来起こりうる問題に対処する政策、どちらも重要です。崩壊してしまう前に手当をするべきです。「職」衣食住をまかなう手段が職ですから、復職できた私は恵まれています。だから、受傷後に技術を身につけ職を得た方の話には頭が下がります。スキルアップや就職に関する成功の決め手は「個人の資質(努力)」なのか「置かれた環境」なのか、という議論が某掲示板でありました。もちろん、障害の程度と残存機能が大前提のはずですが。何事も「個人の資質(努力)」と「置かれた環境」の掛け算で決まるはずです。片方でもゼロならば成功はあり得ないのですから。「銃」 無差別殺人の報道に触れるたびに切なくなります。無念な気持ちで死んでいった方の苦しみを思うと胸が痛みます。命を落とさないまでも身体にも心にも後遺症を抱えて生きていく方々のつらさは身につまされます。「無力で無抵抗な相手なら"誰でもよかった"」と言ってのける卑怯者に傷つけられるのは不本意ですが、それよりも、苦しみながら死んでいくことやこれ以上の障害を抱えて行くことの方が、私には耐えられません。四肢麻痺の無力な者にこそ、卑怯者を倒すためでなく、自分の最期を自分で決めるために、確実な手段が必要です。
2008.07.26
胸部レントゲン検査をしました。「古い炎症の跡が基質化しているが、経年変化がないので問題ない」といういつも通りの診断でした。先週、頸椎損傷で四肢麻痺になってから6度目の健康診断を受けました。脊髄を痛める前年にも同じところで受けていますから、そこには7年7回分のデータがあります。健常の頃は、6リットルの肺活量を誇っていました。車いすでの受診は私だけではないそうですが、まだどなたともお会いしたことはありません。私の場合、車いすのまま視力、血圧、肺活量、眼底、眼圧をすませ、ストレッチャーに移乗します。それから心電図、腹部エコー、腹囲、採血、胃カメラ、胸部レントゲン検査です。胸部レントゲン検査だけは機器に横付けしたストレッチャー上で座位をとります。先ず長座位で左脇を機器にあてます。この時、前に上げた両腕を技師が支えてくれます。次に、両脚を90度回し、端座位で背中を機器に着けます。技師は左肩を支えてくれます。7回とも同じ技師です。大柄の男性、K氏です。正面(実は背面)写真には、肋骨の下に白いドーム状の線が写り込んでいます。位置的に横隔膜のようですが、横隔膜はレントゲンに写りません。呼吸器内科医に確認したことがあります。ずっこけ座りで天井を向いた下腹の輪郭でした。車いすからストレッチャーへの移乗は、健康診断というルーチンワークの中で、スタッフにとっては余計な仕事です。最初の頃は女性が4人がかりで私を抱え上げていました。4年くらい前から男性スタッフがかり出されるようになりました。女性は横から手伝います。一昨年はK氏も呼ばれていました。去年もK氏はいました。私は、相変わらず抱え上げられながら、「毎年ありがとうございます」と彼に声を掛けていました。そして今年です。 例年通り、新顔の女性スタッフが「いつもどうしていますか」と聞いてきます。K氏もいることを確認してから、「立位がとれるので、立位で移乗します」と答えました。そこからは、全スタッフが私の指示通りに動いてくれました。車いすをストレッチャーの足もとに横付けし、K氏が右脇、別の男性スタッフが左脇のアシストにつきます。起立した私の立位が安定してから、女性が車いすをどけます。そこにストレッチャーをずらし、私が腰を下ろします。3人でできました。誰ひとりきつい思いはしていません。しかし、この移乗の成功は当然のことです。4年くらい前に身につけ、何度も使ってきた技ですから。これまでこの場で試さなかった理由は、この時期の身体的パフォーマンスの低下とスタッフに余計な仕事をさせているという遠慮でした。今回なぜ思い切ったのか、それはわかりません。K氏と女性技師がストレッチャーをレントゲン室に運んでくれました。K氏が唐突に言いました;「立って撮りますか?さっきの移乗のように、私が横につきますから」この言葉は私を驚かせました。ただ、非常に残念なことに、突然すぎたので、私は喜ぶことを忘れていました。立位でのレントゲン撮影。早い時期からの具体的目標でした。リハビリの起立と立位保持の領域の最終ゴールと考えたこともあります。成功したらその場で泣くかもしれない、涙の訳は誰も知らない、そんな妄想に耽ったこともあります。もちろん、このことは誰も知りません。妻にも話していませんでした。それが今現実のものになろうとしています。しかも病院スタッフの提案によってです。これまで私から提案しなかったのは病院側の抵抗を予想したからです。移乗の場と異なり、レントゲン室ではスタッフはひとりだけです。そこには転倒のリスクがあります。いくら私が成功率100%と言っても、自己責任といっても、病院側はリスクをとらないと思っていました。それが今現実のものになろうとしています。結局、立位でのレントゲン撮影は行われませんでした。「側面はどうしますか」との女性技師の言葉が、側面撮影について何の準備もしていないことを、私に思い出させました。経験してきた立位保持の手すりは、前であれ横であれ、腰の高さです。肩の高さに腕を上げたことはありません。他動運動としてしか上げられないでしょうし、上半身に過度の緊張が入ることは予想できますが、それが足腰にどのような反射を引き起こすかは予想できません。転倒のリスクがあることは確かなのに、それを自分自身が見積もれない状況です。これほどやばい実験を強行する場ではありません。「どちらも座位で行きましょう」私から告げました。決着の前に成功や勝利を確信することがあります(ここで油断して失敗や敗北という結末もあります)。今回がまさにこれですが、自己評価でなく他人の評価なので満足しています。それにしても、よくぞ言ってくださいました。"立って撮りますか?"
2008.07.25
肺活量を測定しました。2,700ccでした。身長181cmならば標準が4,000cc、許容範囲は2割引いた3,200ccとのことです。500cc足りません。健常の頃は6,000ccを誇っていたのに。風船をふくらましますか。スポーツ吹き矢に手を出してみますか。
2008.07.19
視力測定をしました。両眼ともに0.1でした。十代の最後には0.1が見えなくなっていましたから、視力は上がっていると言うことでしょうか。ちょっと愉快です。頸椎損傷で四肢麻痺になってから、長年愛用していたコンタクトレンズの使用をやめました。リハ病院入院中に出入りの眼鏡屋さんに作ってもらった眼鏡を使って5年、この春、考えました。眼鏡が必要なのかと。車を運転しない、町中を出歩かない、他人と待ち合わせをしない。そんな生活です。少しでも身軽になりたいと願っていました。今年の3月20日、眼鏡を外してそれ以来使っていません。不便を感じたのはテレビとパソコンです。テレビはすぐに慣れました。ぼんやりと眺めています。パソコンは正確に読み取る必要があります。ブラウザの表示文字拡大機能では対応できないページも多いので、こんなソフトを使っています。老眼マウスポインタ周辺の文字や画像を拡大表示するマウスユーティリティ 起動するとタスクトレイに常駐する。初期状態の設定ですぐに使いはじめられるが、豊富に用意された設定項目を変更することで、自分好みにカスタマイズできる。拡大倍率は2倍から10倍までの1単位で変更できる。画像を詳細に表示したいときや、CAD/DTPソフトなどでドット単位の処理を行うときは、倍率を上げればよい。レンズの大きさは、最小64×64から最大1,024×640の間で設定することが可能。横サイズ/縦サイズは個別に設定できる。初期設定ではOFFにしていますが、「振るジェスチャーで停止/再開する」をONにしてみてください。マウスを激しく左右や上下に動かすだけでレンズが消えたり出たりします。「老眼マウス」が邪魔になったらすぐに消せる親切設計です。
2008.07.18
最近、愉快なことがありません。梅雨明けはしないし、かと言って、雨も降りません。低気圧がもたらすと思われる手足の不快感に悩まされるだけです。"ジョン・ロックは物の性質をふたつに分けた。物そのもので成り立っている性質を第一次性質、人間とのかかわりで変わる性質を第二次性質。形とか重さは第一次性質。色は太陽光線と人間の目との関係で変化するので第二次性質"肉体的にも精神的にも、不快に感じているだけです。それはわかっています。別に愉快なことがあれば、不快感を忘れられます。
2008.07.14