「白洲正子の宿題」「日本の神」とは何か
白洲信哉 /野中昭夫 2007/10 世界文化社 単行本 222p
Vol.2 No.0244 ★★☆☆☆
掛け軸でお酒を飲む作法を教えてくれたのは白洲さんである。一級の美術品に対する最高のほめ言葉は「おっ、これで飲めるな」ということ。最初にお目にかかって以来、合うといつもお酒を飲んでいたから、「たまにシラスシンヤじゃなくて、シラフシンヤが見たい」と軽口をたたいたこともあった。p18 茂木健一郎「婆娑羅はすでに始まっている」
茂木健一郎の巻頭言はともかくとして、この本もまた「祖母・白洲正子 魂の居場所」と同じ出版社からでているところをみると、柳の下のどじょうを狙う企画本というニュアンスがないでもない。これではまさに「江原啓之神紀行」となんにも変らないではないか。いやむしろ江原のほうがもっと広域を歩いている分だけ「日本」を網羅しているといえる。茂木も「白洲信哉の婆娑羅はすでに始まっている。伴走する読者は幸いである。」p21なんて、おべんちゃらを言っている場合だろうか。
宇宙人や金星人よりは、地球人という存在のほうにリアリティを感じるが、いきなり「日本の神」というところまで退却されると、それも困る。中国人やチベット人などというレベルまで細分化された民族論よりは、やはり私は地球人レベルでものごとを考えたい。「日本の神」とはなにか、という副題ではあるが、私なら、ここを「地球人スピリット」とはなにか、と書き変えたい。
もっと言うなら、かつてあった「日本の神」は、未来の「地球人スピリット」へ成長していく過程にこそある、と言いたい。父母や祖父母の「財」(それが精神的なものであろうと)をむやみやたらに食いつぶす姿勢は、喜べない。江戸、明治、大正、昭和ときて、現代人たる私たちは平成に生きている。21世紀だ。「古典美に憧れる中年婦人」たちの人気アイドルを気取っているばかりなら、この「タレント」孫にスポットライトがあたっている時間もそう長くあるまい。