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2015年11月07日
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カテゴリ:政治問題
 大庭健著「民を殺す国・日本」(筑摩選書)について、10月25日の東京新聞は次のような書評を掲載している;


 「日本人の精神的特徴は自己批判を知らないことである」。戦時中、東北帝国大学で教えていたドイツの哲学者カール・レーヴィットのことばである。本書を読みながら、思想史家の藤田省三が紹介していたレーヴィツトのこの指摘が何度もよみがえった。

 3・11で起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故は紛れもなく人災である。だが、未(いま)だに誰も責任を取っていない。被害者である住民は見捨てられ、多数の人びとが故郷を奪われたままだ。それなのに原発は再稼働し、核のゴミは増え続ける。

 「東フクシマ」の深刻な状況を、責任の問題からアプローチした本書は、「公害の原点」である足尾鉱毒事件にまで遡(さかのぽ)って透視する。富国強兵の国策の下で起きた鉱毒事件に際し、支配層は事実の隠蔽(いんペい)、すり替え、国策ゆえの「検証せず」などの不作為を積み重ねた。「構造的な無責任」である。被害者は見殺しにされ、谷中村は滅亡した。

 モラルを軸に近代の政治文化に切り込んだ画期的な本書は、国策による日清・日露からアジア太平洋戦争の敗戦、戦争責任のありよう、そしていじめにまで視野を広げる。精緻な分析によって、不作為の連鎖である「構造的な無責任」が浮かび上がり、倫理的ブレーキの基礎である自己批判力を欠いた実態が読者の前に現れる。

 著者の切っ先は、責任を不問にする国策の持つ不可侵性を支える国家への信仰、疑似宗教の国家教に向かう。克服されざる国家教の下で原発推進がなされ、官産政学の複合体は応答義務に背を向け、「構造的な無責任」が人びとを追い払い、未来のいのちを奪う。「東フクシマ」は、そう語っている。

 民を殺す「構造的な無責任」はカタストロフへ向かうのか。著者はむろん、方向転換策を示す。だが私は思う。国家教から自由で、自己批判力を持った、抵抗し続ける民衆自身がその道を発見、獲得していくに違いない、と。
(評者:田中伸尚=ノンフィクション作家)


大庭健著「民を殺す国・日本」(筑摩選書・1836円)

おおば・たけし 1946年生まれ。専修大教授。著書『いのちの倫理』など。


2015年10月25日 東京新聞朝刊 9ページ「責任とらない構造を分析」から引用

 鉱毒事件では、多くの村民が苦しんで死に村は滅亡したが、加害者である資本家はその後国策にのって繁栄し、今では富士通などという会社を経営して栄華を極めている。福島の原発が大爆発して、広範囲に放射性物質が巻き散らかされたとき、政府はいち早く「まき散らされた放射性物質は雨や雪のような性格の物で、東京電力の所有物ではないから、除去する責任も東京電力にあるわけではない」というルールを打ち出して、加害者である東京電力を救済し、放射能汚染で非難した市民には、許容値を引き上げて「以前より放射能は少し強いが、住めないほどではないから」などと言って、避難生活への支援金の支出をやめようとしている。大資本は手厚く保護し、一般国民は少しくらい犠牲が出ても仕方が無いというのが、明治以来のこの国の姿勢である。






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最終更新日  2015年11月07日 19時46分10秒
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