テーマ:本のある暮らし(3217)
カテゴリ:読みたい本、注目の本
今朝の日経文化欄に、宮城谷昌光氏と佐藤賢一氏の歴史小説について記事があった。
それぞれ「中国史」(宮城谷)と「西洋史」(佐藤)をモチーフにしていた両作家が、斬新な目を持って日本の戦国時代を題材にとって小説を書いているという。 宮城谷の家臣(部下)の目から観た歴史というのもおもしろいが、佐藤の「両性具有の信長」というテーマにもいたく興をひかれる。 その題名もずばり「女信長」。 両性具有といえばヴァージニア・ウルフの「オーランドー」、白洲正子の「両性具有の美」しか読んでいないが、なにがなし興深い気持ちがする。 性の思想的部分について言えば、若い時はやはり恋愛感情にゆれる、歳経ると遠のくのは必定、しかし枯れるのではない。遠くから見るのであるから、遠景が全体を見通せるようにわかってくるものがある。 新奇をねらうのではない、人間の奥深さがにじみ出るような気がする。しかし、佐藤氏の「女信長」は近来の「女の時代」に即した歴史観でもあるらしい。読みたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読みたい本、注目の本] カテゴリの最新記事
ヘッセの「デミアン」や平野啓一郎さんの「日蝕」で両性具有神(アプラクサス)について触れるのですが、両性具有神が体言しているものがさっぱり分からないのですよね。まあ、仏様も性別不祥のように彫られたりするので、父性や母性を合わせ持つという意義だけならまだいいのですが、デミアンや日蝕では、性的陶酔だけが異様に際立っていて、何故に対する回答の片鱗がないのですよね。両性具有神って、フェチでマニアな題材なので、ノーマルな人間に対して説明して欲しいなあ・・と、ぼやきですなあ。
(2006年12月23日 12時06分28秒)
佐藤賢一さんの西洋史しか読んだことないですが、こういうのも面白そうですね。
(2006年12月23日 15時37分27秒)
私ももちろん研究するほど読んでもいないし、わからないですよ。でも、人間は両性の思想を持っている気がするのです。それがどちらかにより多く振(ふ)れているだけじゃないかと。性別の行動とか結果はですね。
人間は性に関係なく平等である、といっても現実異なっているのは仕方がない、等質ではないのですね。だから一人の人間がそいういう(両性具有)表し方、現れ方をした人が仮にいてもいいのではないでしょうか。機能的にも、思索的にも。 ああ、でも、もっと極めなくては、これでは何言ってんだかですね。 (2006年12月23日 20時04分18秒)
宮城谷氏は、旦那ちゃんが大好きでしょっちゅう読んでます。
私は歴史の授業が苦手だったので、小説読んでいても時代が分からなくなる始末・・・トホホ。 佐藤賢一氏が信長をテーマに・・・へぇぇ・・と思ってます。 この人、お隣の市の出身なんですよね~。 お隣は、文学者を多く輩出している城下町なんです。 王妃の離婚を読もうとしたけど、挫折しちゃった私です・・・が、いつか佐藤氏の作品を読んでみたいと思っております。 (2006年12月25日 16時41分11秒)
>お隣は、文学者を多く輩出している城下町なんです。
室生犀星を始めとして現代作家までほんとに多いですね!私の好きな桐野夏生も生まれはそうだし。 小説の題材になることも多い、文藝に豊かなところなんでしょうね。一度しか行ったことありませんけど。 (2006年12月26日 05時54分22秒) |
|