犬養道子『女性への十七の手紙』を読んで
相変わらずの道子節で「人間としてどうあるべきか」
切々とお説きになる、わたしにはなじみの文章なのだが
いたく興味をそそられた部分がある
その最後の最後の章の「目的地ーどこへいく?人よ」
においてこう述べている
「理」にのっとれば、
鉱物・植物・動物的な生物(物体)としての肉体は、物として当然いつか分解する。
土に帰る。
が、もはや「良心」や「自由選択能力」を通してみてきたように、
人間は――人間だけが――物プラスアルファの精神(霊)的な
スピリチュアルな存在なのである。
脳や細胞等の生物的化合物に依存しつつも、人間は、生物学オンリイの「物」ではない。
精神的なものは、例えば霊となって死後も残るという考え
なぜならば、個人として
責任ある自由を選んで生き
良心を持ちつつ
目的をもって進み、その結果を受容する
たった一回のはかない人生だけれども
死にさいして総決算をする、そこに精神的な意義がある
と説かれるのである
「...への手紙」という形式は聖書によくあるように
まあ、抹香くさいともいえるのだけれども
わたしは
「死んだらこの世は(世界は)わたしにとって無くなる」もの
そして残る精神や意識があるとしたら身近な人の中の意識の中だけ
と思っているので
もしや
なんらかの残るものが身近な人にだけではなく
生きとし生けるものにも意義のあることだったら嬉しい気がする
![虹](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/d11986a643f66efbfa1f51675ad29e23950f29fe.01.2.9.2.jpeg)
(12月1日)降ったり陽がさしたりめまぐるしい空だった
![白い月](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/2318c323f2752bb05e1d42c528c5d3a145f256d9.01.2.9.2.jpeg)
美しいものを美しいと想うこころが残る?