2084462 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

書評日記  パペッティア通信

書評日記  パペッティア通信

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Calendar

Category

Favorite Blog

桜木町駅ビルに110形… GKenさん

─ 灼熱 ─ HEAT1836さん
余多歩き くれどさん
tabaccosen breton005さん
ミョウの魅 stadanさん
ぶらぶらブラジル日記 Gaobrazilさん
沖縄でよんなよんな sinarsinarさん
りゅうちゃんミスト… りゅうちゃんミストラルさん
再出発日記 KUMA0504さん

Comments

山本22@ ブランド時計コピー 最高等級時計 世界の一流ブランド品N級の…
山本11@ 最高等級時計 店舗URL: <small> <a href="http://www.c…
よしはー@ Re:★ 小島毅 『近代日本の陽明学』 講談社選書メチエ (新刊)(09/26) 作者の独善性、非客観性をバッサリ切り捨…

Recent Posts

Archives

Apr , 2024
Mar , 2024
Feb , 2024
Jan , 2024
Dec , 2023
Nov , 2023
Oct , 2023
Sep , 2023
Aug , 2023
Jul , 2023

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

May 17, 2005
XML
カテゴリ:経済


すばらしい著作です。
かつて1960年代、あたらしい世界経済理解の次元を切りひらいたフランク。今度は、マルクス、ウェーバーなど、ヨーロッパ中心主義のイデオロギーに、宣戦布告します。

19世紀までヨーロッパは、世界経済の周縁であった。
大航海時代以降、世界の中心という自画像は、19世紀の神話にすぎない、と。

従属論。

第三世界は、欧米の様なコースをたどって発展するのではない。世界は、単一の経済システム(世界システム)におおわれている。どの地域であれ、低開発の決定的な要因は、その地域に内在するものでも、そこに住む人々のせいでもない。世界システムの構造の下、「低開発」という機能を担っているにすぎない…

このフランクらの考え方は、1970年代、ウォーラーステインの「世界システム論」へとひきつがれました。16世紀以降、ヨーロッパに誕生した「世界システム」が、アメリカ・アジア・アフリカを周縁(=「低開発」)として包摂する過程として、近代史を再把握したのです。

フランクは、この近代像さえひっくり返します。15世紀以降、アジアを中心に成立していた世界システムこそ、アメリカ大陸を包摂したのだ、と。競争力のないヨーロッパは、アメリカ大陸産銀でアジアの産品を買う以外に、この世界システムに参入する方法がなかった。世界経済は、これによってさらに拡大した。ただしアジア、とくに中国・インド・東南アジアなど、東アジア地域において。

この地域は銀で潤い、需要は供給を生み、人口・経済の高成長がもたらされた。そこには、市場に敏感に反応する、生産性の高い農・商・工業があった。ヨーロッパは、諸地域の交易「カントリー・トレード」に割りこんで利益をあげたものの、ルートさえ支配できなかった。ヨーロッパでいわれた「17世紀の危機」などない。政治的ヘゲモニーはいうまでもなく、科学技術、生産性、蓄積、生産、金融は、1750年頃までアジアが圧倒していた。18世紀後半、世界システムの危機的な景気後退局面(コンドラチェフB局面)。このときヨーロッパは、NIESの一員として、この機会を利用して、アジアの背中をかけのぼったにすぎないのだ、と。

ヨーロッパの勃興とアジアの衰退も、鍵はアメリカにあるとします。
人口/土地資源比の低い、欧米の高賃金経済では、労働節約的な機械の発明によって、生産コストを削減する誘因が備わっていた。西インドからの資本蓄積もあった。この連続的な過程が、産業革命という予測できない事件を生みおとした。アジアでは、労働コストの低さによる比較優位があるので、その誘因が働かない。人口/土地資源悪化は、収入の2極化を生み、さらに賃金の低下を生んだ。アジアでは、資本の希少性もあって、さらに資本節約・労働集約型生産に特化しようとする合理的選択が生まれることになった。


アジアの生産効率の高さという「成功」こそ、技術革新を妨げる「均衡の罠」に陥らせた。近年のアジアの勃興は、ここ150年ほど離れていた、世界経済の主役の座に戻ろうとしているにすぎない!!


簡単なこの要約からも、刺激的な面白さの一端が窺がえるでしょう。彼が「ヨーロッパ例外主義」と呼んだ、従来の経済史の方法論に対する、徹底的な批判と無効宣告。ノースや、ポランニー、ウォーラーステイン、プロト工業化論も、その例外ではありません。こうした「偶像破壊」も、エルヴィン、チョウドリ、ポメランツなど、多くの先行研究に依拠して、重厚にすすめられているのです。これらを咀嚼しつつ、なおかつ未聞の問題提起におよぶとは。なかなか、余人には真似できません。一次資料にもとづいていないものの、そうした欠陥を感じさせない、仕上がりになっています。

ただ、これまでの研究とおなじ限界もかかえていることは言うまでもないでしょう。産業革命と西欧の勃興の関係。これは、自明のようで、依然埋められていません。そのシンボルであった紡績業こそ、機械力で圧倒的な生産力を獲得したものの、機械が使える分野など、どれくらいあったのでしょうか。このとき、創出されつつあった中間財生産部門に機械が投入されて、それがさらなる高い生産性をもたらし、社会に波及してゆく余地は乏しいと言わざるをえません。産業革命はそもそもあったのか。労働節約と資本節約の差異は、後になっても観察できたため、 19世紀になって「産業革命」の概念が導入されることになりました。ところが、さて両者の分岐点は?となると、曖昧極まりないものとなって闇に埋もれてしまう。産業革命は、依然「外生項」としてとどまったままです。

そもそも、18世紀まで周縁のヨーロッパは、「低開発」という機能を担って形成された社会であるはずなのに、せいぜいアジアはヨーロッパと「同じ」、もしくは「優越」しか、強調されていないのはいかがなものでしょう?矛盾していませんか?

とはいえ、これは射程があまりにも宏遠すぎるゆえの瑕疵にすぎないのかもしれません。あとは、読者による批判的継承にまかされている、といった所でしょうか。大部な研究書だけに、細かい方法論や考え方など、勉強になる部分がたいへん多い。制度とは、経済的過程の原因ではなく、そこから派生する道具である、とか。


同じような記述が、行ったり来たりして、やや分かりづらいのが難点ですが(元が悪いのか?)、お勧めの一冊といえるでしょう。


評価 ★★★★
価格: ¥6,090 (税込)

 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Nov 17, 2005 11:23:14 PM
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.