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書評日記  パペッティア通信

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Jun 21, 2005
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カテゴリ:社会
kennbunn

「中国」は、世界の中心、ひとつの「文明」の中心なのだ。
バスや鉄道で、中国北部を旅していたとき、たしかにそう感じる一瞬があった。

夕日に映える、山吹色の麦秋の大平原。
のどかに広がる麦畑に浮かぶ雑木林と赤茶けた岩肌。
そして残酷なまでに美しい空。

その息をのむような美しさに囚われた。
どこまでも、人がいて畑がある。

人は、2500年間、この大地を耕してきた。
これからも、おそらく、耕し続けるのだろう。
そして、この大地に騒がしくも根をはって、彼らが耕し続けるかぎり、
ここは、世界の中心、文明の中心であり続けるのだ…
彼の地を踏むなら、大なり小なり、誰もが抱くそんな確信と予感を、
評者もいだいた。

かように人は、中国の大地へと、アジアの大地へと、いざなわれてきた。
この書は、アジアの大地にいざなわれた人びとの、肉声がしるされている点で興味深い。著者は、ナチス・ドイツに併合されたオーストリア人。写真記者。ドイツ人として来日。自動車で日本をめぐって、朝鮮半島に渡って満州、モンゴルを縦断。そこからは上海、香港経由で、重慶政府の支配地域に足をはこんでいます。日本軍の重慶爆撃にも、直面した筆者。まさしく、副題の「1939年のアジア」にふさわしい、紀行文にしあがっています。おまけに筆者は、皇道派荒木文相(!)、満州国総務長官・星野直樹、南次郎などとの会見に成功しています。われわれにとって、面白くないハズがない。

へんに枠にはめて理解しようとはしない、ゴツゴツした雰囲気そのままの描写が、読み手にはとても喜ばしい。当時の日本社会に確実に忍びよる、戦争の疲弊。滅びつつあるようにみえる、朝鮮民族とモンゴル族の運命への同情。かれは、朝鮮と満洲(そして中国)の光景をかえつつある、帝国日本の挑戦に、賛嘆を惜しもうとはしません。中国社会の観察には、端々に辛辣さがみられます。一見、絶望的にみえる中国社会。その逆に礼賛されているかのような日本。とくに、彼にとってあまりにも奇天烈かつ理解不能であった、日本の神道儀礼の模様を活写した箇所などには、おもわず笑みがこぼれます。「奥津城」靖国神社の儀礼の様子。捉えどころのない中国人の描写。この書からは、当時のアジアの呻き声が、時をへてよみがえってくるような、そんな錯覚さえおぼえます。

ヨーロッパ人だけに、アジアのことは理解できていない。どこまでも、そのレンズは歪んでいます。だからこそ、かれの目からみえる日本・アジア像は、もう一つのたしかに実在した「日本・アジア」として、われわれの惰性ともいえる思考に修正をせまる、迫力ある見聞記になっているのでしょう。それは、アーカイブによってつくられたものとは異なった、「記憶の歴史」として紡ぎ出される、従軍慰安婦の証言と同じ「もう一つの歴史」を提供してくれているのかもしれません。

おまけにコリン・ロスは、冷酷にも、最後に勝つのは蒋介石ではなくても、中国であることを理解しています。個人としての中国人の優秀さを疑わない、ロス。そして、ヨーロッパのアジア支配、白人支配の終焉を目の当たりにして、何かを「予感」しているロス。しかし、コリン・ロスは、それが何であるか言葉にすることができません。人は、事態が「現実化」してはじめて、あとづけによって、その「予感」が来たる「現実」の「前触れ」であったことを知ることができます。現実化しない内は、その予感は何を意味しているのか、語ることができない。

そうした「予感」は、後にはすべて、「中国共産党」の勝利をつげるものとして、読み替えられてきました。中国の汚濁も、弱さも、きたるべき中国革命の、清浄な救済の「前触れ」として、あとから読み替えられてきたのです。この書にはそれはない。かれは、1945年に死んでいるからです。その「予感」にしたがい、熱心な観察をおこないながら、その予感がなにを意味したかはわからない。全編を通底する、何かを予感していながら、語ることのできない、そんなもどかしさ。

だからこそ、なにものにも収奪されることがなかった、「もどかしい」ばかりの「予感」によって生まれたこの見聞記は、価値が高いものとなっているといえるのではないでしょうか。そこにある原石のままの可能性たちの群れ。むせかえるような、アジアの雑踏。

1990年刊行された書の文庫化。
この機会に、ぜひ手にとってみてはいかがでしょうか。

評価 ★★★
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Last updated  Dec 23, 2005 04:08:28 PM
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