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昔 京都寺町通りに有った 丸三洋服店の創業社長野上純一氏とは柳居子随分深く長い交友が続いた。淡路島の出身 大阪の寿司屋に奉公今大手の保険会社の立っている土地に店を構えたが、徴兵で出征中空襲でスツカラカン 京都に僅かな伝手(つて)で流れ 露天商や数種の職を変え 寺町の軒店を借りて大きくなったと言う立志伝中の人物 今でも彼の一代記が書けるほど縁が深かった。 政治家の後援会長や商店街の副会長 サブ 調停まとめ役として頭には立たないがそれなりの存在感の或る人。彼の最晩年 いつも分厚い手帳を持ち歩き 日々のスケジュールをこなしていたが、自宅にも同じ控えを書くようにしていた。ある日の会合出席予定が時間が来ても現れない 電話をすると忘れていたと言う。手帳の記載も自宅の控えも見るのを忘れていたと言う。『柳居子君 私も先が永く無い』と一言。幾許もせぬ内に他界された。 書き留めておくと言うのは ある一定の年齢以降大事な事だと思う 物忘れに備えると言う意味で。取材の記録と云うのは執筆や報道について正確を期すという以外に録音再生に比べて、書かれた物が膨らむイメージが格段に大きい 書き留める事が大事な有効な事だと思う反面 過ぎたるは及ばざるが如しと思う御仁もいる。宍戸氏から紹介を受けて知り合ったY君 彼は柳居子と対面する時 大きな手帳を
柳居子花徒然 タマミズキ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.27 08:17:20
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