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テーマ:DVD映画鑑賞(13700)
カテゴリ:映画/パニック
【地球が静止する日】
「どんな文明もいずれ危機的局面を迎える」 「ほとんどが滅びる」 「(だが)君たちは生き延びた」 「太陽を失いかけ、進化を余儀なくされた」 「絶滅の危機だと知ってから進化したんだな」 「そうだ」 「私たちは今知った。確かに絶滅の危機だろう。だが危機に瀕して初めて人は変わろうとする。窮地に立って初めて進化する。その好機を奪わないでくれ。答えに近づいているんだ」 この作品を鑑賞することで気付かされた永遠のテーマ、それは人類創世以来の悩みかもしれないと思った。 “人類滅亡”という問題のことである。 世界のベストセラーである旧約聖書には有名な“ノアの箱舟”のくだりがあるが、これもいわゆる滅びの哲学から生まれた作品のような気がする。 『全能の神は、地上に増えた人々や人間の業を見て怒りを覚え、洪水で滅ぼすことにした。神に従順なノアは忠告を聞き入れ、巨大な箱舟を作り、全ての動物の雌雄一組ずつを箱舟に乗せ、来るべき日に備えた。』(旧約聖書「創世記」より) 増えすぎた種は、地球という一つの生命体にとってこの上もない負担となる。 その際、人類は戦争・疫病・天変地異等により淘汰される運命にあるのかもしれない。 それが自然の摂理だとすれば、もうどうしようもない滅びの哲学なのではと。 『彼は警告にきた。しかし人類は気づいていない。』 謎の球体が突如としてN.Y.のマンハッタンに現れる。 しかしその球体は世界中の至るところで出現していた。 米政府は軍も出動させ、厳戒態勢を布く。 危機対策チームの一人である生物学者のヘレンは、セントラルパークに到着し、球体の謎を解くため軍隊と共に包囲する。 まばゆいばかりの光の中から現れたのは、地球外文明の代表としてやって来た宇宙からの使者クラトゥであった。 この作品は、望むと望まざるとに関係なく一度は観ておきたい、地球規模の社会的テーマを扱っている。 それをエコ対策の喚起と捉えるか、あるいは宗教的倫理観の覚醒と捉えるのか、単なるパニック映画と捉えるのか、それは視聴者各人に委ねられている。 だが大切なのは、我々一人一人が生きものであると同時に地球そのものが一個の生命体であるということ。 我々人間が増えすぎることでガン化し、地球が病んでしまっていることだけは確かなのだ。 “じゃあ一体どうしたらいいのか?”と問われたら具体策は漠然としていて、地球の静止する日を止める術はないというのが現実だ。 ならば我々は、せめてこの地球のために何ができるか考えようではないか。 人類のためと言うより、地球のために。 それが結果として人類を救う解決策になるのではなかろうか。 余談であるが、ゴルトベルク変奏曲が、実に効果的に使われていた。 地球外生命体も美しいと認めるバッハの音色である。 余談ついでにもう一つ。 ゴルトベルクは、あのレクター博士も大のお気に入りである。 2008年公開 【監督】スコット・デリクソン 【出演】キアヌ・リーブス、ジェニファー・コネリー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.12.30 05:46:48
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