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テーマ:映画から何かがはじまる(570)
カテゴリ:作品レビュー(外国映画)
本日は映画と時事ネタの2本立て。
まずは、「ロスト・イン・トランスレーション」。 この映画は、カルチャーギャップについての考察というより異国におけるほのぼのとした心のふれあいドラマ、プチ・ロマンスというべきであろう。 この映画から思い起こすのは「ローマの休日」であるが、考えてみれば、この「ローマの休日」は異国の地で異国人2人が出会うドラマにもかかわらず、そのカルチャーギャップがまったく描かれていないという不思議な映画である。 それは当時、ヨーロッパに対してリーダー的立場にあったアメリカとしては当然のことであろう。 さて、今日の新聞から話題をひろってみる。 井上防災担当相が佐世保の事件に絡んで「元気な女性が多くなったのか」と述べた発言について「誤解を招いたことを遺憾に思い、発言を撤回する」と語ったと新聞記事にある。 この言葉は非常に判りにくいし、理解できない。 「誤解を招いた」とあるが、「『本来の意味』を、『誰が』どのように『誤解』した」というのか? 彼の発言を解釈すると「誤解をした」のは、彼以外の人間であるということになる。 つまり、こういうことではないか。 「私の表現が不十分で、みなさんに誤解を与えてしまった。みなさんも私の発言を誤解している。これは非常に遺憾なことであり、あの発言は取り消すが、後日、別の表現で行う」 少なくとも私はそう感じるが、みなさんはいかがでしょうか? 要するに、「誤解したのはあなたがたで、私はちっとも悪くはないよ。」と、こういうことのようだ。 うーむ、書いていて不愉快な気分。「キャシャーン」の悪口をもう一回書いた方が気持ち良かったかも。 それにしても、同じ日本でも永田町語と日常語とののトランスレーションでは、普通の人は、迷子になってしまうぞ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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