古都イスファーン
空気が澄んでいる。静かな印象は、細い直線的な緊迫した空気が張り巡らされているためなのだろうか。体が不具になり乞食になり、道端に座りこむ若者達にこまめにお布施をする市民。おだやかに軍服で歩く男。煙草の配給所に群がる人々。壁に描かれた戦争シーンの絵とホメイニ師。検問。
インドから東に国を進める程に、乞食が減り、子供の労働を見るのが減ってくる。
バス、止められる。全員荷物と共に外に一列に並ばされることが何回もある。銃を持った兵士達。検問の順番が回ってくる。他の国のように、そしていつものようにニコニコして、心から最大限の友好を示し、友達でーすとノー天気になる。すると、彼らはニコニコ笑って対応してくれるどころか、銃を貸してくれたり戦車に乗せてくれたりという国があるというのに。イランの兵士は、ピクリとも笑わない。苛立ちながらペルシア語を捲くし立てる。戦時下の国。
否応無しの認識を持たされる。相手のいっていることをびびりながら、相手のいっていることを勝手に予測して、私もまくしたてる。「ジャパン(国籍)」{テヘラン(行先)}「サイトシーング(観光)」三点セットのいずれかが該当したのであろう、怖い顔のまま頷いた。そして。荷物の手を緩めることはない。闘争は真面目だ。末端の兵士になればなる程。
その日、三大出来事。
一.竜巻を見た。
石油の国イランのバスは豪華だ。一列三席。主要道の舗装状況もしっかりしている。休憩所についても、どのバスもエンジンなんか切りはしない。戦争してて、財政大変だけど、油ならなんぼでもあるでぇ、と主張しているかの様だ。
闇両替のため、バスはそれで、八時間走って、一ドル。
塩湖、砂漠の中の舗装の一本道、竜巻を見た。バスは平然と走っている。巻き込まれる心配はないのだろうか。紙や木くずのようなものがぐるぐる回っている。今までのバスからは考えられない近代的なバスの中から、改めて自然の猛威を見せつけられた。
二.五ドルで高級ホテルに泊まった。(闇両替のため)
宮殿。バスタブを真っ黒にする快感。
三.イラン女性に微笑まれた。
レストランのテラスで夕食を採る。ひとつ隔てたテーブルに女性達が食事をしていた。イランは案外、若い女性はチャドルの下にジーンズをはいていたり、ヒールをはいていたりと、パキスタンより服装に関して緩いのだろうか?と思っていた。その中の紫のスカーフを羽織った女性と目が合って、微笑みあってしまう。ペルシャ人の女の目はすこぶる怪しくて魅力的だ。彫りの深い顔だ。あの目に一目惚れしてしまった。
四.橋の下にある渋い茶店に行った。
太陽は沈みつつある。もう二時間太陽を見ている。河の橋の下。水パイプで肺の中を煙で充満させてから二時間、太陽は本日最後の断末魔的美を空に描きながら、雲を褐色に染め抜き、河の向こうの都市の向こうの山の向こうに消えてゆく。私は、下品に腰に手をやり、足を蟹股にして突っ立っている。私の花柄のズボンが少しずつ闇に消えてゆく。チャドルの女性達の黒が、闇に紛れ、分かりにくくなってゆく。
イランはかなり楽しかった。親切だった。しかし、イランを抜けるとホッとした。
翌年、イランイラク戦争の終結ニュースをタイの田舎町で知った。
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