本日の記録、6時間で284キロ(平均時速47キロ)。
すがすがしい二日酔いをものともせず、朝食を優雅にノンビリ食していれば、乗り遅れるので、急いで、車を走らせ空港に行く(神戸空港なら飛行機乗れば1日駐車場代ただなので、電車代より安くつく)。
「羽田経由、釧路行きお願いします」と興奮気味に言うも、釧路は満席になってます。その次の便にしますか、といわれたが、それでは釧路に1時間も滞在できないことは、秘密にしつつ、乗れなかったら東京付近を攻めることにして、とりあえず、空港に来てしまったので、東京に行き、キャンセル待ちに並ぶ。スタンバイしている人数は、私の前に4人もおり、ショックでガビバーン状態だったのだが、何故か1A席が最終的に空き、一番最後に乗り込み、一番最初に降りるという快挙を成し遂げ、速攻で、予約もしてないけど、ともかく1番安いレンタカー貸してよといったが、オデッセイしかなく、交渉で2番目に安い価格で、卸してもらった。しかし、軽自動車でなくて北海道では正解であったことは、のちのち気がつくのである。というかすぐに気がつくのである。勿論知っていたが、やはり道は北海道しているのである。いつも時速400キロで移動する私も、今回は、120キロ程度で順調に走り、順調に、前の車を抜かし、
順調に腹ごしらえもするまでもなく、数々の牧場を越え、順調に阿寒湖に着いたのである。
まりもである。中学校の時、通信販売で買ったことがある。しぶとくいつまでも生きているのが特徴である。通信販売でもういっこかったのが、リストバンドであり、車田正美の「リングにかけろ」に感化されたのであった。
この熊、首をふっていて、結構危ない。私も熊に襲われるのは嫌だ。
アカン、アカン、イカン、といいながら、感慨深く、阿寒湖を眺めるのであった。風がきつかった。
といいつつも、中学の時から漠然と行きたかった阿寒湖についに20数年の時を経て行ったのであった。
その20数年の間に、高校に行ったり、会社に行ったり、インドに行ったり、ナゾのぱらだいすに行ったりした。
イオマンテ・・・おお・・・
おねだりきつねなど、土産物街が数件並んでいて終わり。
ほんま、まりもばっかり。
こんな小学校はシュールであかんやろ。
阿寒湖を泳ぎきった私は、次なるターゲット、50キロ先の屈斜路湖へ山間を走るが、霧で前が見えない。パンケトーという湖を越えていくのである。
屈斜路湖といえば、一時はやったクッシーである。
屈したといいながら、感慨深く屈斜路湖を眺めるのであった。風がきつかった。
屈斜路湖といえば、やはりクッシーである。クッシー道路まであるのだ。
勿論、砂湯クッシーも忘れない。さすがカルデラ湖、まだ燃えていると、噂で聞いた。
何故だか、西洋人ヒトリポツンと足湯中。
まだメシを食ってなかった私は、ひたすら無料の湯を飲む。飲みながら、中島を望む。
重要事態が勃発した。最後の湖、摩周湖に行こうとすると、今週だけ、国土交通省の馬鹿が、乗用車通行止めしているんである。バスに乗れとのことだが、乗っていたら、帰りの便に十分に間に合わないので、もう次いつ来るか分からないのに、といいながら涙する。何故か、海外なら、また来るからいいよと思うのに、何故だかもう来ないような気がしてならないのである。行くとしても、また20数年後か・・・日本一透明度の高い湖を逃したのであった。これは、流入する川がなく、地下から水が沸いているからであろう。(ぐぐってみるとこう書いてあった・・・かつて1931年の透明度調査で、バイカル湖をしのぐ41.6mの透明度を記録している。これは当時確認された世界最高記録である。しかしながら、後にヒメマスやニジマスの養殖を試みたこともあって透明度は年々低下傾向にあり、今後倶多楽湖などと順位が逆転する可能性がある。2004年8月の北見工業大学による検査では、透明度19.0mであった(2003年度は20.4m、2002年度は18.0m、2001年度は23.7m)。アア、きりのましゅうこよ。
午後2時以降は、明日を待て・・・(誰も待っていない・・・)・・・飛行機発車、地球滅亡まであと3時間、急げ、まだ半分である。メシモマダ。