福岡空港の近くにそれはあるんであった。国の有形文化財なるぞ。竪坑櫓ちゅうもの、この志免町の役所の裏の公園に異様な姿として存在し、市民達は無視しているか見てみぬふりをしているか見飽きておるに過ぎないのである。こいつは戦中、石炭を掘るために600メートルも地下に続いているのであり、この計上のものは日本に2つあり(もう一個は三井三池)、それもなくなり、現存するのは世界広しとはいえ、3箇所だというのである。とここまでは、教科書的教育的説明である。
1960年代には石油が既にメインの時代となり、廃坑にはなったのではあるが、ここまで投機で石油が上がると、石炭も採算が取れてしまい、見直しの時代に入ってしまうというあまりよろしくない構造になりいつつあるのであった。
間違った方向に向かっているバイオ燃料より、おそらくよっぽどましなような気がして仕方がないのである。ましてや世界の食料の高騰をあおっていおり、本末転倒状態である。そもそも、エネルギーの安定供給がバイオマスの安定供給にいつの間にか摩り替わっているのである。或いはすりかえられているのである。石油の安定供給が投機で無茶苦茶されている中で、歴史の浅いバイオ燃料が安定供給されること自体おかしなことである。あくまで、今の技術ではサブもサブ、サブに過ぎない。男色雑誌ではないのである。相手は食料である。今の農業は石油漬けである。
そもそも石油がないと農業が成り立たないのにである。研究によると、世界の食料を全部エタノールに換えたとした場合、年間8億キロリットルらしく、世界のエネルギー需要は原油換算で年間110億キロリットルである。うーん、年間何回人類は餓死しなければならないのか。
人間が常識と理性の生き物であれば、食料とエネルギーと二者択一に迫られてしまったら、選択は答えを待つまでもないが、どうやら人間は常識や理性は持っていないらしい。多分、一部であろうと期待はするのだが。食料でないもの、例えば、食物繊維などがあろうが、土地がない。農地と交換か?バイオ燃料の大原則は食料と土地を奪わないことなんであるが、それは、生まれたばかりの赤ん坊でさえ分かる論理である。大人になると、だんだん、バカになって分からなくなっていくのが人間のようである。ああ、心穏やかとハンサムさと頭脳明晰しか取り柄のない私が、苦虫を潰したような顔になって心が荒れてき出し、眠たくて頭脳低下になってきたので、中途半端で終わりとする。というか、炭鉱で働くことにするか、老体に鞭打って。
・・・大阪に帰るんですけど・・・
“google easter eggs”の3語。これを入力して、「I'm Feeling Lucky」ボタンをクリックすると、あら不思議。通常の検索結果画面には飛ばずに、かわいいウサギとタマゴのミニゲームが始まったはずだ(JavaScriptをオンにしておく必要があるのでご注意を)。
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