キエフの空港に来てから既に13時間、やっと、機内の座席に座った私であった。
前回までの粗筋・・・11時に、空港までの道閉鎖を押しのけ空港に到着したが2時出発の飛行機は遅延、汽車で行くことにし、40キロ先の市内に戻るが、タクシー内で9時間でプラハに到着ではなく1日24時間+9時間で到着することが判明し、長距離バスでワルシャワに行くことに変更しバス発着場に行ったがバスが出ていない曜日であることが判明、また空港に逆戻りしたのであった。そこでまた数時間待ち、やっとチェックインした後も、また2時間以上待ち、やっと機内に入ったのであった。しかし、機内に入ったが、0時までに飛び立たないと、行き先のフランクフルト空港が2時に閉まってしまうことが判明、しかし、まだ荷物を積んでいる状態であった。はやく、荷物をさっさと積み込み離陸しやがれと願っている23時50分。
しかし順調に20分程度で荷物を仕舞い終え、若干、2時に到着は遅れるものの、特別にフランクフルト着陸許可を得ましたと放送がり、エンジンがうなる。
2,3分後、そして、いよいよ、飛び立つかというときに、「再び滑走路(ランウエイ)が凍結したとの報告が入り、2時を大幅に越えても規則破ってフランクで着陸していいかどうか連絡中だ」と再び機長から放送が入った。
もうとにかく飛んでくれ、疲れたよ、と思うと、すかさず、またしても放送が入り、「いくら早くても飛べるのは5時フランクの空港が開くから、あと2時間あるから、多分機内でいたほうがいいよねみんな」との連絡が入り、我々乗客はホットミールを食べることになったのであった。初めて、地上で熱い機内食を食べたのであった。とにかく、機長もパーサーもなんとか帰りたいという真摯な気持ちが伝わってくるのであった。
メシを食い終わった2時過ぎ、再び機長から放送が入った。「飛び立とうとしましたが、今しがた、結局滑走路が完全に閉鎖されました。明日、フランク発6時キエフ到着便の便もキャンセルされました。明日、空港は閉鎖されたし、朝その折り返し便の10時発の人たちと一緒にフランクに行きます、従って、出発は、一番早くて明日の朝10時になりました、皆さん、ターミナルに戻ります」と無情な宣告を受け、我々は、簡単に言えば、死んだのであった。10時って、あと8時間後じゃん!朝じゃん!関東便じゃん!
再び、バスでターミナルに戻されたが、ターミナルには相変わらず人でごった返していた。外にも出られないのだ。しかし、田舎空港、外に出されても、併設ホテルもなく、もっとも外に出されても困るというのがあった。チェックインした人たちを断固、外に出すつもりは当局にはないようで、荷物も当然、飛行機に積んだままである。
もはや、床で寝るしかない。空港建物内で学生時代何度も寝たが、チェックイン後、ダンボール敷いて床で寝るのは始めてである。ダンボールは免税店から貰ったもので、上下マルボロの箱にくるまって眠り続けるの家来のいない王子様状態であった。上着は荷物と一緒にチェックインしてしまい、セーター姿の私は寒く、靴下には穴が開き、尻骨や腰骨が硬い床に辺り、こんなの寝られるか!といううちに気を失った。
しかし、煮を切らした乗客たちが暴動を起こし、発狂したので、私も参加した。バンバン壁を叩いて拍手が意味なく全員がハイな状態になっていたのであった。
そうこうするうちに朝が来た。とうとう。朝日がまぶしく、ターミナル内を照らし、雪は止んだ。飛べるのではないか。
近くの女性が泣いてどこかに電話していたが、死人はでなかったが、スリップして怪我人が出たと叫んでいた。察するに、滑走路閉鎖になった原因を作った便だなと。次に飛び立つ予定だったんだよな、おいらの便。
何故だか後便であるはずのミュンヘン行きが先に出ることになり(掲示板に表示され)、フランク行きの乗客は、はっきりいって切れた。もう切れるのは3回目ぐらいなんだけど、もう、係員に詰め寄って、発狂して大声で叫んでいる。言っても仕方ないけど、この挙げたコブシどこに下ろすんだよ、てな感じであり、ウクライナ語で一通り説明があったあと、係員は、英語で聞く人?と訪ねると私を含め3人程度が手を上げ、いや、手を挙げただけで、やっぱり、飛行機はいつ飛び立つか分かりませんということであったが、懐柔策として、食糧と水が運ばれてきた。腹が満たされると、人間多少落ち着くものである。
それにしても、空港内は禁煙か、所定位置なのに、タバコももうどこでも吸いまくりの人々である。免税店の酒を買って、その場で飲みまくり状態のキャオスである。
11時、遂に、館内放送がかかり、どうやら滑走路が解除されたようで、第一便(カザフスタン航空)ボーディングの内容が入り、人々は、奇声を上げ、割れんばかりの拍手が上がった。
続いてテルアビブ便(2日前出発予定)がボーディング始まり、空き出したので、すかさず、椅子を3席占領して、再び眠り王子になるのであった。
さすがにミュンヘン行が先に出ることに怒り心頭のフランク行きの乗客は、団体行動に出よう!と団結し始めていたが、私も指を指されているのであった。こんなところに東洋人いねえよ。目立って仕方ないのである。ボーっとしているのは、私という東洋人とプーチン(似)とその息子のマットディモン(似)だけであり、フランク行乗客たちは、
ロバートカーライル似の係員 に詰め寄るのであった。
そのかいあってかなくてか、ミュンヘン行の時刻表示が消えた。消えただけであった。
更に1時間が経過し、12時15分、遂にフランクフルト12時半ボーディングの表示が出て、私は一人拍手した。そうすると、私をタイ人と間違えた西洋人が「バンコック?」と聞いてきた。バンコク便も超遅れているのだ、しかし、タイ人は一人もいないのであった。
拍手したら、また消えて、16時に変わった。もはや、拍手した自分を呪うのみであった。
しかし、今度こそ、16時、本当のボーディングであった。26時間遅延である。
と、思えば、本当に始まりそうで始まらないという感じで、バス口で我々は固まり、ひたすら待ったのであった。それでも、やがて17時台には、飛行機の中に着席したのであった。
さらばキエフ、何しに来たか分からない!心に渋く、爽やかに、髪の毛は油ギッシュ、一応歯磨きはしているので、歯垢溜まりはナーシ!キエフの町並み(既に夜!)を見ながら、私は機上の人。
そしてフランクフルトに(へたくそに)着陸した瞬間、乗客から怒涛の拍手が起こったのであった。
すかさず、機長が放送で、ダンケシェーン(ありがと)といったのでった。
機内は爆笑の嵐が吹き荒れたのであった。
プラハのホテル代は取られてしまった・・・(ウクライナ紀行終わり)
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