なんと言うか、
先日まで、味について軽~く薄~く 考えてみたのですが、取り残された、目や耳や鼻の立場はどうなんだ!と言われると、これも非常に深い問題であり、あまり深みにはまっては時間も紙面もないので、簡単に書いてみるのです。
子供時代からよくある話で目鼻耳口(視聴覚の意味で)のひとつだけ機能を失うとしたらどれがマシかというマヌケ議論になると、やっぱり必ず臭いが一番に消されるということになり、やっぱり、目は最後まで外せないよなあということになった。まあ、そんなに異論はなかろう。
それにしても、臭いというのは、目耳と違って、半分は直接古い脳の部分に情報が伝わるので、突然、懐かしさを喚起することがある。大阪の通りを歩いていると、ふと風が通り抜けて、おお、インドの街角の臭いじゃ、と思い出したり、雨上がりの匂いを嗅いで子供時代のある瞬間を思い出したりする。それは昔聞いた音楽を懐かしいなと感じるよりもっとダイレクトに懐かしいと思う。それがなんだ、いやそういうものだ。音楽よりも、どちらかというと、味は、そういう昔のことをダイレクトに思い出すかもしれない。しかし、残念ながら、お袋の味とか、昔ここで食べた味とか、どうもそういうのがないなあ。むしろ、初めて行った食べた時にウマイと感じた味は、もう二度と味わうことはできない。こんな味だったかな。慣れてしまったのかな。二度目以上の味は初めての感動のようなものはないのか、ということである。どういうことであるか。
そうやって、匂いと味はダイレクトにやってくるもので、なかなか同時に言葉での表現は難しいのであるが、それと比較すると見るとか聴くとかは、結構分析的であり、目なんか一目瞭然や百聞へ一見にしかずとかっていっちゃうほど、その瞬間をグワリと把握できる。その瞬間処理の連続く。反面聞くのは、一瞬では聞けず、ま話もそうで、時間がかかる。時間をかけないと、分からない。つまり耳が悪いと、結構因果関係が分からなくなり、前後が分からなくなる。ああ、なんだかなあ。
ふと、気がついたけど、あれだね、内容のない映画やドラマはBGM効果音がすごいね。ちゃんちゃん。