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先日は、空港から市内編を密かに上梓したのであるが、今日は、姑息にも空港へ帰る編である。
5分大通りに立っていてもタクシーが1台ぐらいしか通らないのだが(まあ場所によるので今回の場合)、通りがかったタクシーは必ずクラクションを鳴らしてくれるのだ。よっぽど客がいないのだろうか。2時間ほど歩いてる間にも、タクシーはあまり見かけなかったのにも関わらず、後ろからクラクションを何度も鳴らされるのであった。まあ、ゴロゴロ転がしていたからかも知れないけど。まあ、きっとそうだろう。 少し直射日光に当たりつつ、待っていると、普通の乗用車が止まった。さて乗れ、乗れと。白タクであるが、完全素人白タク丸出しである。ここは、一丁、乗ってみるか、という気分になった。生まれてから死ぬまで人生はどうせ決まっている。決められた道を知らないままになぞっていくほど、私たちは自由だ。 行き先を告げると、とにかく乗れというが、取りあえず値段だけ交渉して4ディナールで行くこととする。彼は英語は話せないが、そこは愛嬌、1000円1本勝負である。 バーレーンの首都はマナーマであり、空港のある対岸のムハルクであり、そこには小さくスーク(市場)地区があるのでそこを目指す。しかし、この運転手、全く道を知らず、素人の私にナビをさせながらも、途中、5回も6回も道を聞きながら、ポリスカーを発見すると、俺とオマエは、トモダチだからね、タダで乗せているんだよということにしといてねフィリピーノという感じのことをいうので、ああ、いいよ、でもおれジャパニーズだけどね、と補足しておく。 彼は、まあ職業を聞いても、地名をいうだけではっきりしないのだが、ポロシャツにジーンズの40男、日本でいうところのボンクラ息子、ニートみたいなものではないか。急速に発展し、莫大なお金を手にした親は、中国も同じだが、ニート息子が多いと聞く。馬鹿みたいに働いてちょっとした給料を得るより、ブラブラしていても十分生きていけるんだ、という感じなのだが、まあ、小遣いぐらいは必要になったのだろうか。多分、メシのためではなく、親に与えてもらった高級車のガソリン代であろう。おまえ、ガソリン代いくらよ、聞くと、さすが、モノカルチャー、石油しか産業のない国(まあ、金融にも手だしてるけど)、満タンにして1000円だそうである。まあ、単純計算、日本の10分の1である。高くてもリッター20円である。しかし、他の物価は高いので、まあ、石油だけは安いよってな感じであるが、そのガソリン代稼ぎのようであった。分からんけど、そして、暇を持て余しているのか、ああ、1時間ほどうろつくなら、待っているから、また戻って来るといいよフィリピン人よ、というので、まあ、それなら空港まで行ってもらうか、でもジャパニーズだよ、と言って、ぶらつきベイトシェイクイーサビナリとう200年ほど前のアリ首長の家に行くが、大抵の観光地は午後1時か2時で終わりで、そこも10分ほど前に閉まっていた。まあ、仕方ないな、そんなに是非とも観たいという積極的な気持ちもないので、戻りかけると、エセ運転手が現れ、無理矢理閉まった門を叩き、無理矢理開けさせ。「バロー!このフィリピン人がわざわざ遠くの国から観光に来たのに、たかが10分程閉館時間超えたからって、ガタガタいうんじゃねえ!ケチケチせずに見せたれや」と散々騒ぎ散らし、もういいよ、でも、おれジャパニーズと一応断りを入れて、なだめるが、かわいそうに思った受付の人が、金はいらんから2分で観回れと許可してくれて、走って見回ったのであった。まあ、良く分からなかったが、上部から涼しい風が吹くことは分かったよ、ニートバーレニアン?よ。バーレーン人ってなんていうの?英語で? そんでもって、空港に向かうことにするが、腹も減ってきたので、オレはメシを食うから適当な所で下ろせというが、この辺にはフィリピン料理やネパール料理もちょこちょこあるから、探してやるよ、というが、オレは何でも食べるよ、食べるけど俺はジャパニーズだよ、と言う。そして、ネパール料理屋は閉店しており、すまんなあネパーリーよというので、一応、自分はジャパニースなんだよ、と諭しておく。結局、ハンバーガーを買うことにする。料理してもらっている間、喉が乾いたので、ジュースを飲むことにして、オマエもいるかと聞くと、いらないといい、そのくせ自分でその場でジュースを買って、自分で金を払っていたので、益々、こいつ暇なだけか、でもいいやつじゃないかと、私も心を開きつつあったのであった。 ハンバーガーで良かったのかネパーリーよ、と言うので、熱々のそれもビーフハンバーガーを持った私は、私は牛を食べるヒンドゥー教徒ではなく、何でも食べるジャパニーズですと自己紹介しておく。 空港に向かうのもまだ時間があるので、狭いバーレーンそんなに急いで何処へ行くということと相成り、車内での会話は実は、3ディナール、8ディナールとか金額交渉ばかりしていたのであるが、結局今度はアラッドフォートに言ってもらうことと相成った。といっても、400年か500年前の城壁であり、当時は今で言うオマーン領だったようである。しかし、ここも14時には閉館していた。また彼は、肩を切って、バーレーンは私のもの風吹かして、閉まった事務所に向かって叫んだ。「バロー!このフィリピン人がわざわざ遠くの国から観光に来たのに、たかが1時間程閉館時間超えたからって、ガタガタいうんじゃねえ!ケチケチせずに見せたれや」と散々騒ぎ散らし、もういいよ、でも、おれジャパニーズと一応断りを入れて、なだめるが、かわいそうに思った受付の人が、金はいらんから外から観回れと結局門も開けてくれず、事務所の扉を閉めたのであった。しかし、彼は、ウム!と大きく意味不明にうなづき、さて、いくらでも写真を撮れというのであった。特に何がウム!か分からないが私も意味なく、ドーモというのであった。 まだ時間がぎりぎりあったので、面白いので、もう一件回ったれや、1ディナールで頼むわとまたもや私は果敢にも彼に交渉を挑み、彼も私の挑発に乗ってくるのであった。そんな訳で、バーレーンで一番でかいグランドモスクに行く。なんていうの、結構、モスクって通じず、マスジッドとかジャミーといったほうが通じるんだよね。マスジッドがスペインでメスキータになり、それが英語のモスクになったみたいで、確かにモスクと言っても通じなかったこと何度かあったなあ。まあ、それはそうと比較的カナリ新しい最大のモスク、アハマドアルファテックモスクというところにいくと、私は、ゴメン噴出した。彼は、急遽敬謙なイスラム教徒に変化したのであった。私がモスク内でうろうろして、そして、このモスク、冷房がガンガンに効いており、おお、涼しいなあ、と異教徒よろしく寝転んでいると、彼は何度も祈り跪き、10分20分たっても、祈っている。まあ、一言でいうと、私は何となく感心した。感心したと同時に、ようやく胡散臭い赤シャツニートバーレニアンの彼に親近感を湧かせつつあった。 暇になりつつあった私(初めから暇だけど)に祈りが終わって気がついた彼は、さて行こうということになり、やっぱり値段交渉に始まり、速攻で俗人に戻るのであった。 結局、タクシーより安いだろ、タクシーならいくらだ?というので、オメー、タクシーはプロフェッショナルでオメは素人だろ、半額以下に決まってるじゃん、というと、じゃあ、この値段でタクシーより満足度低かった?よくなかった?と悲しそうに聞くので、まあ、3時間引きずりまわして2500円だったら、ま、いいんじゃね、と私がお世辞をいうと、おお、ありがとうネパーリーよ、というので、一応ジャパニースと訂正しておいた。そして、私が財布から金を出すと、少し足りなくて、あ、金ねーわ、「ははっは」と笑い、悪いけど、これで全部、どーぞと2250円渡すと、逆に彼は、空港で飲み物とか買うだろ、そりゃ全部でスッカラカンはいけない、いくらか返すよ、とカワイイことをいうので、いや、俺ももう空港で金は使わないから全部持っていけよ、ということをいい、そっか、分かった、あ、フレンド、降りるときに金払ったらフレンドじゃねえから今払ってくれるかなというような雰囲気を察し、これ、今全部払っとくわ、と空港に着く5分ぐらい前に、金を払うのであった。 空港に着き、「じゃあな」というと、彼は、「バイバイまたな、ジャパニーズ」と言った。 2009年秋EUA・オマーン・バーレーン旅行 ドバイ、ブルジュハリファ/a> ドバイのホテルライフ 中東を飛ぶ オマーンへの道 オマーンへの道 オマーンの歴史 オマーン国立博物館 オマーンへの道 オマーン、魚市場 バーレーン空港から市内へ バーレーンのスークにて バーレーン市内から空港へ ジェットラグ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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