ブッダの悟りの開いた地は、ベナレスから乗り合いタクシー。
Dhamekh stupa
Mulgandha kuti vima
バラーナスの近郊、サールナート。乗合いタクシーの運転手に声をかけられて、乗り込むと、定員いっぱいになるまで、タクシーは出発しなかった。野菜を大量に持ったおばさんや子供と一緒で、ブディスト四大聖地の一つに向かうという雰囲気ではなかった。実際サールナートは村であって、記念公園らしき芝生の広場に、そう大きくもないストゥーパ(仏塔)が二つあり、私も芝生に座り、静かにリスの動きを見たり、鳥のさえずりを聞くことぐらいしかすることがなかった。ここは、仏陀が初めて説法した時、相手は人間五人の他、鹿等の動物もいたという。そんな雰囲気が二千年を超えた今でも何となく感じることができる。それは、そういう地だからという錯覚かも知れないし、地面のパワーが特に強いのかも知れない。同じ様に分からないのが、日本やタイ(でさえ)「仏陀のことば」をじっくり読むのは集中力が必要で、しんどい作業なのだが、インドでは不思議にすっと読めてしまう。地のパワーか、私の感傷のためか。
そうやって、芝生で寝転んでいると地元高校生らしき集団が話し掛けてきて、冗談なのか本気なのか、私の荷物を勝手に詮索しだして、盗むような仕種をする。
「俺はまだ、悟っていないんだ。所有の精神がまだ抜けないんだ」と情けなく呟き、「それにしても、ここは聖地なるぞ、この地で盗みとは何たることだ」と叫んだ。集団は、気分が高揚し、蜜柑の皮や牛の糞を私目掛けて投げつけてきた。空気は悪かった。私は退散した。痩せ我慢いっぱいに、歩いて退散した。