サラリーパーソンなので、夏を除く間は、首輪をはめられているのだが、ネクタイも随分、ヘタッテしまったのも増えてきたんじゃないか、と思い、軽く捨てるか、と思ったのだが、マア、最後に俺の中だけの思い出として写真に収めておくのである。つまり、読者にとって何の有益な情報も価値もないアーカーブスなのである。(実は、普段のブログも、まったく価値はないのだが、そこは、さも価値があるように全世界の人々を騙し続けるのである。)
いやいや、高校からもう既に
ネクタイマンだったのである。
しかし、ネクタイというもの、ついつい昼飯を食いに行ったり、夜飲みにいったりもネクタイしているので、うっかり、大人なので汁をこぼしてしまうこともシバシであり、できれば、大切なネクタイ、そんなメシ如きで汚したくないのである。汚さなくても、何度も使用しているうちに、布やシルクなので磨り減ってくる悲しい性なのである。
だいたい、ネクタイは、大量に上に積み上げていくので、ぐいっとひっくり返さないと、年間、実際10種類ぐらいしかネクタイのバリエーションがない状態だったりなんかするので、たまには、入れ替えバージョンをしなければなるまい、と本日2,3秒反省するのである。ちなみに、ワイシャツは500円とか1,000円のものが大多数であるが、ネクタイは、もう少しイキリたいのである。時計もないし、靴も最下層品1足だけを使っており、自分自身の中身がないので、ネクタイアピールしてイチビルのである。見せかけ脅しなのである。それが、見せ掛けだけ人生なのである。勿論他には、靴下は韓国でブランド物の靴下を屋台で10足1,000円とかで買ったり、ワイシャツもタイの屋台でブランド物を1着700円で買ったりするのであるが、さすがに年を取ると、まわりからまさかこいつ年相応にニセモノなんか着てないやろと思われるのである。
アルマジロも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。
タイシルクの
ジムトンプソンも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。
うーん、どれが擦り切れてたかな。ちなみに、逃げるネクタイは、オレの人生を象徴している感じでお気に入りの1品である。
フェラガモも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。
クロアタは、
ネクタイ発祥。
ウンガロも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。
うーん、どれが擦り切れてたかな。ちなみに、エルメネジルドゼニアの象柄もお気に入りの1品である。
ロンシャンも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。
メトロポリタンミュージアムで買ったネクタイも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。
またメトロポリタンミュージアムで買ったネクタイか。あと、ブルックスブラザーズのネクタイも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。これも、多分ニューヨークのブルックスブラザーズで背広買った時に一緒に買ったような気がする。
エンリココベリのネクタイも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。
うーん、どれが擦り切れてたかな。ちなみに、ヘルメス群はお気に入りの1品である。
アンドリューズタイのネクタイも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。
これは酷い、ハンティングワールド、間違って洗濯してしまったんだった。不幸な人生だった。
さらに、オレは罪深き人で、ポールスミスに謝らねばなるまい。懺悔である。