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環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

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2007年11月17日
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テーマ:戦争反対(1189)
カテゴリ:平和

 今日はコジローが住む和歌山市南西部の雑賀地区(瀬戸内海国立公園の一角です)の住人で作る「雑賀9条の会」の年次総会でした。総会は毎年この時期に開かれており、定式通り総括や方針を討議するほか、地区に関連のある有識者を招いて、平和や9条にまつわる講演をしてもらっています。

 今年、お話を頂いたのは、劇作家で演出も手がける栗原省さん。依頼を受けて沖縄に取材した朗読劇を作るために行った取材体験から、「命(ぬち)どぅ宝=戦争マラリヤとコンパッション」と題して、お話をされました。

 戦争マラリヤは第二次世界大戦末期、沖縄よりさらに南の石垣島を中心とする八重山諸島で起きた事件。栗原さんは、この事件をテーマにした文芸作品の劇化を依頼されて現地取材を展開。今日は、そのうち波照間島を中心に、取材者の証言や現地の記録などから取材された内容を中心に話されました。

 1945年1月、すでに敗戦が避けられない情勢となっていた日本は、現人神としての天皇中心の国体を守る保証を得る時間を稼ぐため、沖縄を捨て石にする戦略を採ります。そのとき、最南端で台湾に最も近い波照間を要塞とするため、邪魔になる島民全員を西表島に、着の身着のままで疎開させます。江戸時代、薩摩藩によって西表島の開拓目的に同様の移住が強制された結果、多くがマラリヤに罹患して亡くなった体験がある島民は抵抗しますが、もちろん、そんな抵抗が通じる時代ではありませんでした。

 移住した島民は約1600人。ろくに食料も与えられない収容所で、懸念されたとおりマラリヤは猛威をふるい、実に591人が亡くなります。軍には特効薬のキニーネがありましたが、非戦闘員の波照間島民には処方されるどころか知らされることすらなく、それを食べれば治ると軍に言われたヨモギを口にしたまま、多くの島民が苦悶のうちに命を落としてゆきました。

 沖縄戦を巡っては、歴史教科書の記述をめぐり、集団自決への軍の関与の有無が問題になっていますが、この戦争マラリヤも軍による集団自決強要と同次元の事件といえるでしょう。あの無謀な戦争、そして日本軍の存在なくして、集団自決も戦争マラリヤもなかったことは明らかであり、誰が命じたか命じなかったかなど、ホントはたいした問題ではないのです。

 さて、このように、発掘した62年前の戦争マラリヤの事件を、現代の人々、特に若い世代にどうリアリティをもって伝えるか。我らの跡を継ぐべき若く瑞々しい精神に「コンパッション=共感」を呼び、その生き方に響くような形で伝えるにはどうすれば良いのか、というのが、栗原さんのいま最大の問題意識です。単に、戦争反対と繰り返しても、平和が大事だと唱えても、戦争を知らない若い世代の心の奥底までは通じない。たしかに、平和運動の側で考えなければならない問題だと思いました。

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最終更新日  2007年11月18日 00時17分13秒
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