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環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

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2009年12月06日
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テーマ:ニュース(99488)
カテゴリ:環境

 今朝の日刊紙の片隅に、一段見出しわずか17行の小さな雑報記事が出ていた。ゴシック2行並びの見出しは「鞆の浦訴訟を広島知事『継続』」。つまり、広島県福山市の景勝地、鞆の浦の埋め立て架橋計画を巡る訴訟で、同県の埋め立て免許差し止めを命じた10月1日の広島地裁判決を不服として同県が控訴していることについて、11月に当選したばかりの湯崎英彦新知事が継続の判断をくだしたというニュースだ。 あれまあ、ガッカリである。

 湯崎新知事は就任後最初の記者会見で「架橋にはこだわらない」「地域のために何がベストか議論する」などとして、来年2月の県議会までに賛否両派が参加する話し合いの場を持ったうえで、知事としての最終的な判断を下すとしていた。それまでは控訴を取り下げるというわけにもいかないからの「継続」だろうが、だったら聞かれてもノーコメントで通し棚ざらしにしておく手もあった。理由はどうあれ、わざわざ「継続」などという必要はないのだが元通産官僚のこと、これから支えてもらわねばならない県の幹部役人たちのメンツを慮(おもんばか)ったということかもしれない。

  訴訟の前途は予断を許さないが、この広島地裁の判決が画期的だったのは、同判決が「鞆の浦の景観は住民らの利益にとどまらず、瀬戸内海の美観を構成し、文化的・歴史的価値をもつ国民の財産ともいうべき公益」と指摘。今回の埋め立てや架橋事業のように景観を復元不能に侵害する政策判断は慎重になされるべきで、この事業に効果があるとしても、景観を犠牲にしてまでの必要性があるかどうかについては「大きな疑問が残る」としたこと。つまり、人々が親しむ景観に国民の共有財産としての公益を認めそれを享受することを権利として認めたことだ。こうした認識のうえに判決は、事業自体の調査・検討も不十分として、埋め立てを認めることは知事の裁量権を超えており差し止めの対象になると断じた。

 コジローの狭い知見で論じるのは気が引けるのだが、景観というものが守るべき対象として意識されたのは1960年代の鎌倉が最初ではなかったかと思う。まさに高度成長真っ盛りの時代、古都鎌倉にも開発の波は容赦なく、その景観とはおよそそぐわない高層マンションの建設計画が押し寄せていた。これに対し、鎌倉に住みその歴史的な風致を愛した作家の大佛次郎らが異議を唱えたが容れられるはずもなく、ついに大佛らを代表とする市民の共同出資で開発予定地を買い取るに至ったのだった。これが日本のナショナルトラスト運動の嚆矢(こうし)となったのだが、大佛らがこうした選択をするほか無かった事実こそが、景観保護がいかに当時の時代精神にそぐわなかったかをも雄弁に物語っている。

 次いで、景観保護が問題になったのは我が和歌山の地名の元ともなった景勝地にして万葉の歌枕でもある和歌浦で、その風景を引き締める要となっていた歩行者専用の小さな石橋「不老橋」を巡る訴訟だった。県が「新不老橋」と称して車両も通行できる橋を不老橋に並べて新設する事業に、学者や文化人が一斉に反発。「歴史的景観権」という新しい法概念を掲げて1989年、住民訴訟に至ったのだ。実はこの県の事業を企画段階ですっぱ抜いたのはコジローが記者として勤めていた地方紙だった。その関係もあってその後、この争いに関わる報道に多く携わることになったので、多少は景観を巡る議論にも詳しくなった。

 結果として和歌山地裁は「歴史的景観権は、法律上の具体的な権利として成熟した内容を持つものとは認められない」と判示し、原告住民らが訴えた法的権利性を否定した。「歴史的景観権」とは、国民が歴史的・芸術的・観賞的価値の高い景観を享受できる権利であり、環境権の一種と原告たちは主張したのだったが門前払いに等しい判決で、新不老橋は多少景観に配慮した設計変更を行って予定通り架けられ、和歌浦の景観は一変した。バブル経済全盛の時代なのだった。この訴訟の周辺取材で鮮明に記憶しているのは、世間は原告の先駆的な主張を妄想か寝言としか受けとっていないという悲しくも冷厳な事実だった。

 さらにその後も、東京国立市などで景観論争が繰り広げられている。同市では一橋大学に連なる大学通りの風景を市のシンボルとして保存修景していたが、ここに高層マンションが建設されることとなって、これを巡り90年代終わりから昨年まで複数の訴訟が闘われた。詳しく取り上げる紙幅はないが、注目されるのは01年、マンションの高さ20mを超える部分の撤去を求めた住民訴訟で東京地裁が、たとえ建築自体に違法性はなくとも、以前から住民らが景観形成の努力を続けてきたことから「景観利益」は存在するとして、住民の訴えを認める画期的な判断が初めて示されたことだ。

 例によってというべきか東京高裁でこの判決は取り消され、それが06年に最高裁で確定したが、時代の空気が変わり始めたことを強く示唆する判決だったことを鮮明に記憶している。高度成長もバブルも終わり、ひたすら物的充足を求めて効率を追求してきた社会の限界が、おぼろげながら予感される時代となっていた。モノやカネでは購えない価値があるのではないか。もっともっと大切な人間的な価値があるのではないか。そう思う人々が徐々に数を増していた。その流れを引き継いだのが今回の鞆の浦判決だったのだ。20年前、和歌山で「寝言」として門前払いされた「歴史的景観権」は、広島地裁で見事に復活した。

 新知事の「継続」判断が示されたことにより、鞆の浦訴訟はさらに高裁で争われることになる。上級審ほど保守的な判決を下す傾向が強いのはご存じの通りだから、継続すれば県が逆転勝利する可能性は高い。だが、時代精神は明らかに変わりつつあるのだ。というより、変わらなければ人類にもはや未来はないとコジローは思う。

 歴史的景観を破壊しても開発すべしというのは、「効率」がすべてに優先するという市場主義的価値観の表現であり、そうした市場主義的価値観を野放しにしたことこそが地球レベルの環境危機の真因だからだ。それを自覚するか否かは別として、人々がモノやカネや効率ではなく心安らぐ景観を選択しようとするのは、生き延びようとする人類のギリギリの生命反応ではないかとすらコジローには思えるのだ。県がそれに抗って「勝つ」ことにいったどれほどの意味があるのか。県知事にはそのことを真剣に考えてほしいと思う。

 この景観訴訟は、非常にシンボリックで深い問題を含んでいると思います。ということで、まだまだ書きたいことがあるのですが、また次の機会に…

 

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最終更新日  2009年12月07日 09時15分47秒
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