テーマ:今日のお出かけ ~(8060)
カテゴリ:社会系エッセイ
表参道ヒルズに行きました。
かつて同潤会青山アパートがあったところですね。 たしかに狭い。 店舗の一つひとつが、そして、通路が。 大きなフロアはありません。 でもね。 その狭さはまさにかつての同潤会アパートと同じ位の広さなのかなと思ったのです。 ほんとに狭い小さなお店がずーっと並んでいました。 かつての同潤会アパートもまた、イマドキの暮らしになれた私達から見ると、ほんとにこんなとこすむんですかいというくらい狭い。 十畳一間くらいかなあ。 そしてその狭くて、レトロな同潤会アパートのたたずまいを愛して、わざわざそこにお店を開いた人たちのその思いを、伝えようとしたんだろうかと考えてしまった。 今はまだ混んでいるのでしんどいですが、あの通路の狭さもまた、広くて高くて大きなビルになれた今のわたしたちから見れば、不思議に見えます。けれど、ビルに訪れた人たちがちょっと気をつければ、車椅子にしろ、ベビーカーにしろ、決して通りづらいことはないのではと思います。ちょっと気を使って、ちょっとよけてあげれば、ちょっとよけてもらえば、なんということはないかもしれません。 それよりも、車椅子やベビーカーを使う立場にすれば、エスカレーターや、エレベーターや、階段を使わなければ、他の階にいけないということのほうが大変なのです。 段差というのは普通の人間にはたいしたことはありませんが、弱者にはつらいものです。 そういう意味で館内全てをスロープだけで移動できる、しかも高すぎない広すぎないビル、という意味でとてもやさしいつくりだなあと、改めてつくづく思ってしまったのでした。 狭いレストランも、後に待っている人がいると思えばそうそういつまでも長居はできません。 待っている人がいるから食べ終わったら、次の人のために早めに席を立つという気遣いを、利用者が出来るかどうかが問われている。 表参道ヒルズというのは、便利さやスピードばかりが求められる今の時代にあって、使う側のやさしさが問われる、という最先端の設計だと言えるのではないでしょうか。 それはかつての昭和のたたずまいがもつ優しさを、同潤会アパートからそのままに伝え、残したいと願った、設計サイドの狙いとも思えます。 六本木ヒルズの回転ドアの事件が、弱者に充分配慮して作られた高い感度のセンサーがあだをなして、管理サイドの「わずらわしい」という自己本位の判断によって切られてしまったことを思えば、いい設計とは、その後のランニングにおいて、どう理解し、維持していけるか、管理するものも利用するものもどちらにも、その気遣いと人としてのやさしさがもとめられるということではないのでしょうか。 というわけで、狭くて小さな家、狭い路地裏で、やさしくのんびり暮らしていた昭和初期と、その後に進められた合理化とスピードアップ優先の昭和中期の時代と、その後の反省と再生の、その昭和の全てがつめこまれたようなところなのだなと、そんな思いで、表参道ヒルズを訪れてみてください。 それにしても、災害時の対策はどうなってますかねえ。ただ、高層ビルではない分、救助しやすい部分もあるでしょうか。 と、ここまで考えていたら、設計した本人はなんていってるんだろうと思い始めて、早速表参道ヒルズのホームページを見に行った。 設計したのは、建築家安藤忠雄さんだった。そして、 まさにおんなじことが書いてあるじゃあないか。 とくにこのコメントがすばらしいのよ。 建て替えが<都市の記憶>の喪失となってはならない。 同潤会アパートのその原点をいかにして残すか、そして、その上で新しい時代にあったビルを作ろうとしたようです。なんどもなんどもの話し合いの後にやっと形となって、現れた姿なのですね。 既に書いてあるとおりなのでいまさら私が書くこともないかも。 それでも、こんな何にも知らない人間がふらっと遊びに行っても、建築家が建物を通して語ろうとした思いが伝わるほど、表参道ヒルズはよく出来ているんだってことです。 昔の同潤会青山アパートもすてきだし、今の表参道ヒルズもすてきだよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月27日 09時54分54秒
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