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テーマ:いまさら、ビートルズ。(617)
カテゴリ:音楽
7-14 「tomorrow never kows」 1966年4月6日に「revolver」の14曲目「tomorrow nevr kows」が録音された。この年の6月下旬に日本武道館でコンサートが行われたが、前衛的なサウンドの7枚目のアルバム「revolver」は6月22日(水)に出来上がっていた。そしてビートルズはドイツ、日本、フィリピン、インド(空港周辺滞在)をめぐる。 リボルバーのタイトルは、ワールドツアーの7月2日、日本滞在中に決まる。電報でEMIに連絡される。武道館警備の警官を見て連想されたという説はここから来ているのだろうか。(その他の候補、abracadabra,magic circles,beatles on safari) 1966年4月6日午後8時、この時、ジェフ・エメリックは新しい役割を任されスタジオにいた。ビートルズの新しいアルバムが製作される最初の日だった。ノーマン・スミスの後任バランス・エンジニアとして、セカンド・エンジニア兼テープ・オペレーターから2週間前に配置換えされた。このときジェフは20歳だった。 ジェフはEMIのドル箱で、イギリス経済にも影響しているビートルズのエンジニアとしての重責を感じていた。 スタジオ入りした4人に新しい若造が紹介され、ちょっとした緊張がはしり、それをポールが軽く流す。「ぼくらはぜんぜんジェフでOKだよ。いいやつだし。」
ジェフの仕事は、アーティストとプロデューサーが望むどおりの音を作ることである。 この日、録音される新しい曲は、いくつかのポイントがあった。今までやっていた曲とぜんぜん違い、1つのコードで全部が1つのドローンみたいにしたい、チベット死者の書の一節を歌詞にしたとか。 ジョージ・マーティンと打ち合わせをしているジョンの声が聞こえた。 「・・・・・それとオレの声を、何マイルも向こうの山のてっぺんから、ダライ・ラマが歌っているような感じにしてほしいいんだ。」 ジョージ・マーティンはうなずきながら、ジェフを見ながらジョンに答える。 「わかった。わたしとジェフでなにか手を考えてみるよ。」 そして、この20歳のジェフはスタジオにある機材を総ざらいする。 ひらめきは突然で、スタジオのハモンド・オルガンに使用するレズリー・システムにヴォーカルを通すことを思いつく。(レズリーはアンプと2基の回転スピーカー、1基は低音、もう1基は高音の周波数を伝えるもの。) ただ、いままで、ここにヴォーカルを通した者はいない。
ヴォーカル撮りのためレズリー・システムのセッティングが30分かかる間、4人はお茶を飲んで待った。
準備が整いリンゴはドラムを叩く準備をする。ポールとジョージはコントロール・ルームに来た。 ループのプレイバックが流れ、リンゴがドラムを叩き、目を閉じたジョンが歌いだす。 「turn off your mind,relax and float downstream.....」 コントロール・ルームにいた全員が度肝を抜かれた表情になる。 「ダライ・レノンだ。」とポールが叫ぶ。
そしてジェフはさらにジョンの「今までやっていた曲とぜんぜん違う」を実現するために、新しいドラム・サウンドをイメージした。 EMIの厳格な規定を無視して、高価な機材が損傷する危険が頭を掠めながら、スネアとバスドラのマイクをそれぞれ近づけた。そしてバスドラには着古したセーターを詰め込んだ。(いまでは、当たり前のこの作業は、この瞬間生まれた。) コントロール・ルームで、ミキサーのインプットを下げ、オーヴァーロードが起こらないようしして、スタジオのフェアチャイルド・リミッター(信号のピークを抑える装置)をドラムチャンネルだけにかけ、ドラムチャンネルだけインプットを上げた。その回路をわざとオーヴァーロードさせ、「パンピング(膨張)」を起こさせる。それによってドラムサウンドがいっそうエキサイティングになる。
そのような録音操作がなされ、テイク3が撮り終わる。 コントロール・ルームでプレイバックを聞くリンゴは驚き、他の3人も歓声を上げる。 「むちゃくちゃに最高じゃないか。」
午前2時、ジェフ・エメリックにとって緊張した初日が終わった。 この曲には、新しい音があり、ジェフ・エメリックの新しい仕事に立ち向かう情熱も聴こえてくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.14 07:34:22
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