読書から見える多次元世界
綾部にいるとまるで時間が止まったように感じます。家から土手にあがるとそこは由良川のせせらぎが聞こえ 北を見れば知足彦命とすごした弥仙山が見えているし 南には大本の聖なる山がある。(知足彦命関連ブログ)この山を感じてみると やはり出口なおさまの在りし日のお姿が 町内の知名とリンクして浮かび上がってくるし 王任さまのエネルギーも残っているのを感じます。先祖のお墓まいりのついでに九鬼義隆公の墓前にお線香をそなえたり、また 毎日の犬の散歩をしたりする以外には取り立ててする仕事もないので 一日中本を読んですごしています。読書好きの私がこの1年間ほとんど本を読まないで過ごしてきたのですが1年ぶりに今年のお正月は読書三昧の毎日です。今、 読んでいる本は 『ホツマツタエ』に関する本が2冊 あと白山菊理姫さまの書かれた『竹内文書の謎を解く』と『古代ヤマト』に関するものです。それらは今月26日から名古屋に行くときの参考文献として読んでいるものですがこの1年読書しない期間があったことと それと先日の出雲での経験をとおして面白いことに気づきました。本を文章の羅列と見ないで さまざまなエネルギーを表していると受け取ると読み方が変わってきます。ある文章がものすごくエネルギーを含有していることに気づくこともあるし場合によっては 一つの言葉そのものが ものすごく大きなエネルギーをおろしていると感じる場合もあります。おろしていると今書きましたが たとえば 今日読んだ処で 登場人物のアマテルカミが宇宙中心の説明をしているところがあり彼は それを『人の魂の故郷であるアメミヲヤ』と言っているのですがその文章ひとつが それと直結する世界のエネルギーを引っ張ってきている感じなのです。出雲では 神社のエネルギーの磁場にいくとそのエネルギーを強く感じたのですが本でも それと同じことがおきるのだなあと思いました。読み手が 文を読むことに対してビジュアル化する力が十分にある場合などは 文がただの文ではなくその状況を表す世界が無限に広がるのだと思いますが それと同じことなのでしょう。この世界を平面的な世界としてとらえるのではなく いくつもの多次元があるという縦方向の意識があれば 本に書かれた文字はその縦の世界のいずこにでも読み手をいざなってくれる次元のポータルになりえるのかもしれませんね。本を読んでは その後ろに広がる無限の世界を感じて日々をおくるのも大変素敵なことだなあと思います。晴耕雨読の生活も私はいいなあと思います。