玉縄城から三浦半島へのエネルギーの縛り
昨夕6時半ごろ ドーンとエネルギー衝撃波が ニーナカロライにいる私を襲ったのでいったい何が起きたのかと思って ニーナのパソコンを開いてみるとある女性からの個人セッション依頼が入っていました。メールから感じられるエネルギーが あまりに強烈だったので 他に影響がないようにとにかくスイミングに行き今朝までそのエネルギーの調節をして お申し込みの彼女に今日の午後から緊急セッションをする旨お伝えしました。でも 本当にそんな時に限って電話をしてくる方があって、ああ、この時間帯に誰も電話してきちゃダメですよ~っと思っているのに会津若松城の側に住む方からご連絡があって、、、本当は事務的には必要ない電話連絡なのですがエネルギーが動いて電話せざるを得ないのでしょう。前回もこの方は 私達が長崎の龍馬たちの亀山社中に向う道中で メールによってエネルギーを届けてこられて戊辰戦争のエネルギーが沸き立ったのでした。さて 今日のその午後からのセッションでは 彼女のエネルギーについて こんなに重い人は年に数人くらいで 私が良く知っている人なので 彼女に笑いながらお伝えした表現をここに書きます。 「前回あった時は こんなじゃなかったのにどうしてこんな苦しいエネルギーを雪だるまみたいにまとってしまわれたの? まるで 冬の海で水死した人か そうでなければ冬の山に埋められた死体みたいなエネルギーですよ。」 普通はこういう表現は使わないです。 気心のしれた彼女であるということと セッションが終わる頃には 綺麗なエネルギーにもどるための道がちゃんと発見できるからこそ きちんと実態を見つめようという思いが 彼女との信頼関係の上で この言葉を使えたのです。京都から関東に引越しをされてから 雪だるま状態に負のエネルギーをひきつけてこられた彼女のヒーリング作業が始まりました。いったい何が原因しているのか 一つ一つ探っていきます。『新宿にある彼女の会社の方達や その方のご主人達が皆様 うつ病で、、、』一つ一つ聞いて 癒していきますが 水死体のような波動はそこから来ているのではないです。「この波動も重いですが でも 違います、もっと大きな規模のエネルギーがかかっています。」不思議なことに 彼女を癒してヒーリングしていくと 目をつぶっている私の身体が左回りに動いているように感じるのです。なぜ 左まわりに まるで自分が回転椅子で回っているように回っているように感じるのだろう。不思議でした。一般的には エネルギーは右まわりで強く絞まり、左まわりで弱く緩められることになります。自分の経験でも 結界をはずす時に 左周りに遺跡を回っていることがあります。何をエネルギーを解除しているのだろう、 そう疑問に思いました。彼女の周りにある負の雪だるまのエネルギーをはずしていった時に でてきたものが彼女が住んでいらっしゃる場所のエネルギーでした。『玉縄城(たまなわじょう)』 私は その名前を始めて知りました。わたしはこの城から三浦半島に発せられた縛りのエネルギーを解除していたようです。この城を調べていくと 頼朝さまが挙兵されて鎌倉幕府を起こしていかれる時に 一族をあげて味方をした三浦半島を拠点とする三浦氏を滅ぼすために その拠点として作られた城であることがわかってきました。1495年(明応4年)に小田原城を手に入れた北条早雲さま(伊勢新九郎)は、相模国制覇に向います。そこに立ちふさがっていたのが三浦 義同(みうらよしあつ)さまでした。三浦半島一体に強固な城を築き、三浦水軍をもっていた当時の三浦氏は北条を迎え撃ちます。三浦氏に物資を補給するのは早雲と武蔵国をめぐって敵対していた扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)です。これに対して 北条は三浦半島の付け根のところに この玉縄城を築いて物資の補給を断つ作戦にでます。そして北条の兵は上杉の軍勢を打ち破ってしまうのです。 孤立した三浦義同・荒次郎父子は三浦半島の新井城に籠城、北条軍がこれを包囲します。三方を海に面する天然の要害であり、三浦水軍の軍事力を背景に持つ新井城の守りは堅固で、三浦父子は北条軍の攻撃を実に3年間に渡って抑えていたとのことですが永正13年(1516年)ついに落城し、家臣ともども討ち死にすることになりました。この落城の際、討ち死にした三浦家主従たちの遺体によって港一面が血に染まり、油を流したような様になったことから、同地が油壺と名付けられたということです。もしも この玉縄城がなかったなら歴史は変わっていたかもしれないとおっしゃっている方もおられるようです。セッションを受けてくださった彼女ですが この玉縄城のエネルギー地場を大変気にいられて気持ちが良いと思ってお引越ししてこられたそうですから この土地にご縁があるのでしょう。彼女の三浦氏や北条氏を癒す旅は始まったばかりです。三浦を打ち破った北条も やがては 秀吉、徳川軍の配下に加わることになります。地場のエネルギーはどんどん変わっていきます。かつて玉縄城があった場所に 人々の楽しい笑い声、喜びの波動が積もっていくと かつては支配の拠点であってこの地域のエネルギーも安らかになるでしょう。今日、私は彼女のおかげで 三浦半島への玉縄城からの縛りのエネルギーを解除する祈りをささげることができました。今は かつて敵味方に分かれて戦ったものたちも それぞれにその学びを祝福して 感謝しあい癒しあって 喜びの中に光に向う時代です。ああ、本当にみんな良く頑張りましたね。 余談ですが 私は 三浦半島の新井城、油壺で三浦氏のエネルギーと出会ったことがあります。三浦同寸(義同)さまは好きです。彼の辞世の句をご紹介しましょう。「討つ者も 討たるる者も 土器(かわらけ)よ くだけて後は もとの土くれ」。土器を地球に返したら あとは光の世界に皆があがって行かれます様に 心からお祈りします。