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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.09.01
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カテゴリ:鎌倉市歴史散歩
『​鎌倉散策 目次​』👈リンク
【​鎌倉の寺社リスト​】👈リンク

​​「妙法寺」を後にして、次に「安国論寺」を訪ねた。



ここは「妙法寺」から100m程の場所にある「安国論寺」。
鎌倉市大町4丁目4−18。
「​長勝寺​」👈リンク は建長5年(1253)、日蓮上人が鎌倉の松葉が谷に来て、初めて草庵を
結んだ所の一つ。
本堂前の広場には、上野公園の西郷隆盛像で有名な高村光雲作の、高さ8メートルの巨大な
「日蓮聖人像」があった。さらに周りには、仏教における4人の守護神である「四天王像」が
安置されていた。



「日蓮上人草菴阯」碑。
「建長五年(1253)日蓮上人 房州小湊ヨリ来タリ 此地ニ小庵ヲ営ミ始メテ法華経ノ
首題ヲ唱ヘ 正嘉元年(1257)ヨリ文応元年(1260)ニ及ビ 岩窟内ニ篭リ 立正安国論一巻ヲ
撰述セシハ即チ此所ナリト言フ」

【1253年に日蓮上人(にちれんしょうにん)が房州(千葉県南部)の小湊(こみなと)からやって来て、
ここに住み、法華経(ほっけきょう)という首題(しゅだい:南無妙法蓮華経)を唱えはじめました。
そして1257年より3年間のあいだ、洞窟にこもって、立正安国論(りっしょうあんこくろん)
一巻を書き上げたといわれているのがこの場所です。】



「南無安國日蓮大菩薩」、「松葉谷根本霊場」と刻まれた石碑。



題目碑「南無妙法蓮華経 松葉谷」。



「山門」への石段を上る。



「山門」前の大きな石灯籠。



「安国論寺(あんこくろんじ)
当山は日蓮聖人「松葉ヶ谷御小庵」の霊跡です。
御小庵の元となった岩窟(「御法窟」または「日蓮岩窟」という)が本堂の向かいにあります。
この御法窟で日本国の安泰と人々の幸せを願って文応元年(1260年)7月16日、前執権北条
時頼に建白した「立正安国論」が執筆されました。
翌8月27日に立正安国論に反感をもつ人々に庵が襲われました。これは「松葉ヶ谷の法難」と
言われています。
本堂の裏山に一時避難した「南面窟」があります。
境内は四季折々の花や紅葉で彩られています。
中でも御小庵の傍の山桜は、日蓮聖人の桜の杖が根付いたといわれ、「妙法桜」と
呼ばれています。
サザンカやカイドウとともに鎌倉市の天然記念物に指定されています。」
●宗 派   日蓮宗
●山号寺号  妙法華経山安国論寺
●建 立   建長5年(1253)
●開 山   日蓮聖人」



「境内霊場案内」。


    【http://amigokamakura.sakura.ne.jp/ishibumi/405-nichiren-seltuhou-ato/tenple-nichiren-kamakura.html】より

「山門」。



「山門」の扁額「安國法窟」。



ここにも「法華経は女人の成仏をさきとする」と日蓮宗の「今月の聖語」が。
「~女性の力~
近年女性の地位向上が大いに叫ばれていますが、実はお釈迦さまはすでに3千年前に法華経を
通して男女平等を宣言されていました。
ひと昔前までは洋の東西を問わず男性優位の考え方が当たり前でした。
しかしその男性も母親がいなければ生まれません。
どちらが欠けても世の中は成り立たたないのは自明の理です。
再度根本に立ち返り考えて下さい。
男(ひと)は女(ひと)があっての人なのです。」と日蓮宗のページには。



こちらは板に描かれた「境内霊場案内」。



「山門」を潜り境内参道を進む。
大きな石灯籠が並んでいた。



左手の寺務所。



安国論寺にゆかりのある俳人で歌人の正岡子規の歌碑。
2011年(平成23年)12月に建てられた歌碑であると。


「鎌倉の松葉が谷の道の辺に法を説きたる日蓮大菩薩」
子規は、1888年(明治21年)と1893年(明治26年)に鎌倉を訪れ、安国論寺へも
足を運んだのだとう。
この歌は歌集『竹之里歌」に鎌倉懐古の題で詠んだ中の一首。

「正岡子規(まさおかしき)
慶応3年9月17日(1867年10月14白)生、明治35年(1902年) 9月19日没。
俳句・短歌・新体詩・評論・随筆など多方面にわたり革新的な創作活動をし、日本の近代文学に
大きな影響を与えた。
明治21年7月・明治26年3月と2回鎌倉に遊んでいる。本歌は、当山に参詣した時のことを、
「竹乃里歌」に鎌倉懷舌の題で詠んだ中の一首である。日蓮上人の強烈な精神性に共鳴し、
随筆「日蓮」を遺している。讃仰者といってもよいだろう。当歌碑は自筆から製作したもので、
レリーフは門下の番取秀眞の子息正彦の作である。」と。



参道にも大きな石灯籠が



右手に手水舎



手水舎の水鉢の上の地蔵尊は苔生して。



右手に「熊王殿」。
日蓮に使えた従者、熊王丸がつくったとされる熊王稲荷が祀られている。
厄除け、眼病平癒、歯痛止め、縁結び、交通安全、家内安全、学問成就など。


扁額「熊王殿」。



「内陣」。



「本堂」。



正面から。
横断幕には「三つ追い松葉の丸」紋と「井桁に橘」紋が。

鎌倉【大町材木座】行っておきたい寺社の基本情報をチェック! - まっぷるトラベルガイド

扁額「立正安国」。



斜めから「本堂」を見る。



本堂前の木々の間にあった日蓮上人に食物を捧げる猿の像。
日蓮が布教を行っている最中、新しい宗教に対する周囲の冷たい目の中で、お布施も無く
日蓮が飢えた時に、山王権現の白猿が日蓮に食物を捧げたといわれていると。



鎌倉市指定天然記念物の「サザンカ」。



「仏足石」。



本堂前のガンダーラ調の石仏。



「御小庵」。
安国論寺の御小庵は、日蓮が『立正安国論』を書いたという御法窟の前に建てられている堂。
日蓮は、1260年(文応元年)7月16日、「正しい法に従わなければ国がだめになる」という。
『立正安国論』を北条時頼の家臣宿谷光則を通じて幕府に提出した。
それから、40日後の8月27日、念仏信者によって草庵が焼き討ちされている(松葉ヶ谷法難)。



「立正安国論」の碑
碑には『立正安国論』の結びの部分が刻まれていると。
「汝早ク信仰ノ寸心ヲ改メテ 速カニ実乗ノ一善ニ帰セヨ 然レバ則チ三界ハ仏国也 仏国其レ
衰ヘンヤ 十方ハ悉ク宝土也 宝土何ゾ壊レンヤ 国ニ衰微ナク土ニ破壊ナクンバ 身ハ是レ
安全ニシテ心ハ是レ禅定ナラン 此ノ詞、此ノ言、信ズベク崇ムベシ 」

【貴殿は一刻も早く誤った信仰を捨てて、ただちに唯一真実の教えである法華経・御題目に
帰依されよ。そうするならば、この世界はそのまま仏の国となる。その仏の国は決して衰える
ことはない。十方の世界はそのまま浄土となる。浄土は決して破壊されることはない。
国が衰えることなく、世界が破壊されなければ、わが身は安全で、心は平安であろう。
この言葉は真実である。信じなければならぬ、崇めなければならぬ。】



「御小庵」に近づいて。



扁額も「御小庵」。



句碑であろうか?比較的新しいもの。
「日蓮の・・・」。



「御小庵」の「旧宝珠」であろうか。
日蓮宗寺院の寺紋は宗紋である「井桁(いげた)に橘(たちばな)」。



竹林を背景に「九重石塔」と「石灯籠」。



あの土光(どこう)敏夫さんもこちらで…。
土光敏夫居士墓所」碑。



「日朗上人御荼毘所・南面窟・平和の鐘」案内板。



「日朗上人御荼毘所」。
「自分が出家し黒髪を剃り落とした松葉ヶ谷で荼毘に付し てほしい」とのご遺言から
ここで火葬されたと。



「日朗上人御荼毘所」碑。
日朗上人は、寛元三年(一二四五)四月八日、下総(千葉県)に生まれ、幼名を「吉祥麿」と
呼ばれた。建長六年(一二五四)より日蓮聖人の教えを受け、文応元年(一二六〇)に出家した
と伝えられている。日蓮聖人のお膝元、鎌倉で教えを弘め、日蓮聖人に孝養を尽したので、
「日蓮の行くところ、常に日朗あり」といわれ、「師孝第一」と称されるようになった と。



扁額「師孝第一(しこうだいいち)」。
日朗は日昭の甥と伝える。



「日蓮聖人弟子門流系図」。


 【http://amigokamakura.sakura.ne.jp/ishibumi/606-nichiren-amagoi/deshi/deshi-keizu.html】より

「内陣」の「五輪塔」。



斜めから。



「墓地」の横に「平和の鐘・南面窟」への石段があったが、この日はこの石段は閉鎖されていた。



「九重石塔」。



「本堂」の横には盆供養のための塔婆が並んでいた。



「本堂」前から「山門」方向を振り返る。



「御小庵」を横から。右奥に日蓮上人が立正安国論を著すために籠った岩屋。



「松葉谷日蓮上人遺蹟」碑。



「松葉谷日蓮上人遺蹟」碑。
安国論寺は建長五年(皇紀一九一三)日蓮上人房州小湊より来たり此地ニ小庵を営み始めて
法華経の首題を唱へ正嘉元年(皇紀一九一七)より文応元年(皇紀一九二〇)に及び巌窟内
に籠り 立正安国論一巻を編述せしは即ち此所なりと云ふ。



「ヤマザクラ」。



「かまくらと三浦半島の古木・名木50選 ヤマザクラ」。



                              ・・・​もどる​・・・


                   ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:19:37
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