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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.07.14
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カテゴリ:寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

「中瀬大神」を後にしてさらに西に進むと右手にあったのが「一之宮八幡大神」の石鳥居。
扁額には「八幡大神」と。



「一之宮八幡大神」碑。



石鳥居の下にあった「いちのみや 大山道」碑。
石鳥居の前の県道44号線は、江戸時代の大山参拝の「田村通り大山道」なのである。
神奈川県、丹沢山地東部にある大山は阿夫利山、雨降山(いずれも、あふりやま)とも呼ばれ、
阿夫利神社が祀られている。古くから山岳信仰の山で、江戸時代には大山講が盛んになり、
大山への参詣者が急増した。
大山道とは大山への参詣者が通った、関東、甲州などから大山へつながる複数の街道の
総称である。主要なものは8道あるとされる。
ここ「田村通り大山道」は大山道の中で最も主要とされ、最もにぎわいをみせた経路と
されている。東海道藤沢宿の西方、旧辻堂村四ツ谷から分岐して西へ進み、相模川を田村の渡しで
越え、伊勢原を通って大山へ通じる。
この街道がにぎわった理由は、大山への参詣を終えた後、江ノ島の弁財天に詣で、鎌倉、金沢八景
などの景勝地を巡る経路が当時一般的になった事による。大山からの田村通大山道は、藤沢宿を
はさんで江の島に続く江の島道に通じるためなのだ と。



石鳥居を潜り「一之宮八幡大神」の参道を進む。



正面に「二の鳥居」と「拝殿」。



左手に「神輿殿」。



「手水舎」。



「八幡大神」案内板。



「宗教法人 八幡大神
 一、鎮座地 高座郡寒川町一之宮一丁目二十一番地十号
 一、御祭神 誉田別尊(ほむだわけのみこと)    大日貴神(おおひるめむちのかみ) 
                   倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 大山咋命(おおやまくいのみこと) 
                   奥津比古命(おきつひこのみこと) 奥津比女命(おきつひめのみこと)
                   大雀命(おおささぎのみこと)       菅原天神(すがわらてんじん)
 一、由緒 
          元禄十(一六九七)年八月の創立と伝えるが、平安時代の和名抄に「佐牟河波伊知乃
          三夜牟良(さむかわいちのみやむら)」と記されていることから、古くより奉祀されて
    いたと推定される。爾来武門・上下の尊崇をうけ、明治元年の神仏分離令により妙光寺
          持より村持となり、社格制度制定により同六年、村社に列せられ、更に村内の数社を
          合せ祀り、一之宮の氏神様として姿を整える。
          大正十二年、関東大震災により建物一切倒壊するが、同十五年、本殿他を再建す。
          昭和二十年の終戦により宗教法人となる。
    同五十九年、境内整備事業により社殿の改修、神楽殿、社務所の新築を奉行する。
          平成二十一年一月二十一日、明治の御代に合祀されてより正に百年目に当たる吉き日に
    八幡大神に縁深き氏子等参列のもと、合祀百周年記念奉告祭が斎行された。
    八月一日例祭、宵宮に氏子三町より奉納される屋台巡行は明治より連綿と受け継がれ
    殷賑を極める。
 一、祭事    歳旦祭 一月一日、 節分祭 二月節分、虫送祭 六月夏至に近い日曜日、
       浜降祭 七月第三月曜日海の日 例祭 八月一日、七五三祝祭 十一月上旬、
       煤払祭 十二月二十八日 月次祭 毎月一日」



「記念 社務所神楽殿新築落成及社殿屋根葺替竣工竝神輿殿奉製」碑。



「二の鳥居」前から「拝殿」を見る。



狛犬(右・阿形像)。



狛犬(左・吽形像)。



「拝殿」。



唐破風屋根の下の彫刻。



「拝殿」の内陣。



扁額「八幡大神」。



「大震災紀念碑」(右)と大正4年の「玉垣建造碑」(左)。
「大正十二年九月一日午前十一時五十八分 大震災紀念碑」と。
背面の碑文には、
寒川村一之宮総戸数百七十六戸内全壊百六十四半壊十二 此損害高約二十四萬六千圓
以下に殃死者18名の氏名と年齢、発起人22名などの氏名、などが記されていた。



「玉垣建造碑」



「御大典奉祝記念」碑。
「大鳥居並玉垣建造の碑」。



「故陸軍歩兵一等卆鈴木庄蔵君之碑」。



境内社の「稲荷大明神」。



「社殿」。



石碑群。



「常夜燈」と刻まれた石燈籠。



「堅牢地神塔」



「二十三夜供羪塔」



この石碑は?



「双体道祖神」。



「拝殿」の右手の広場と建物。



次に訪ねたのが近くにあった「南泉寺」。
神奈川県高座郡寒川町一之宮1丁目23−1。



「大師霊跡 南泉寺」碑。



「南無阿弥陀佛」碑。



「山門」。



「南泉寺 高野山真言宗 山王山・明王院・南泉寺
天正元年(一五七三)、贈善清による開山、「村民五右衛門の先祖」による開基(『新編
相模国風土記稿』、「社寺明細帳」より)。
本尊は不動明王。堂字に薬師堂(現寒川町薬師会館)、天神社があった。
江戸初期より、十三仏信仰を奉持する檀家寺として、各檀徒の回忌法要を執行して来た。
本堂に十三体の十三仏像を祀置する。
境内には宝永六年(一七〇九)の六地蔵像、明和五年(一七六八)の宝篋塔、相模国八三番札所を
示す弘法大師石坐像、三界万霊墳、守護本尊八体仏、徳本行者足跡碑等の他、無宗派合祀供養塔
がある。」



「高野山 真言宗」。



「山王山 明王院 南泉寺」。



境内右手に様々な仏像が名前入りで並ぶ。



手前から「千手観世音菩薩」。



「虚空蔵菩薩」。



「文殊菩薩」。



「普賢菩薩」。



「勢至菩薩」。



「大日如来」。



「不動明王」。



「阿弥陀如来」。



「本堂」側から。



「本堂」前は敷石の工事中であった。



「不動明王像」。



「聖観世音菩薩」。



「六地蔵尊」。



「本堂」。



本堂の扁額「南泉寺」。



「本堂」前の「遍照金剛像」。



宝永六年 (一七〇九) の六地蔵像。



これも「聖観音菩薩像」あっただろうか。



                               ・・・​もどる​・・・


                 ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2023.03.27 06:48:28
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