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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.10.17
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カテゴリ:国内旅行
国道58号を海岸線に沿って西に進むと左手に見えたのが「タピックスタジアム 名護」。
日本のプロ野球チームの北海道日本ハムファイターズが春季キャンプで使用している。
また、キャンプ終盤にはオープン戦も開催されると旅友から。
「タピックスタジアム」の名称は ネーミングライツパートナーの医療法人タピックから。
名護市宮里2丁目1。



左折して「21世紀の森ビーチ」に向かって進む。



左手にあったのが「イベントドーム」。



海岸にそって更に進む。



左手に8の字を横にしたようなモニュメントが。



未だモニュメントの設置工事中のようであった。



とぽいんふぇにてぃ~
とはトポロジー(位相幾何学・柔らかい幾何学)とインフェニティー(無限)を作者が
組み合わせた造語です。」と。



斜めから見る。



車を駐め海岸まで歩いて見た。



21世紀の森ビーチ」には子供の姿が。
この場所は、初日に那覇空港への飛行中に眼下に見えた光景なのであった。



海での小学校の着衣水泳の授業であろうか?



東方向の海岸線を見る。



ここにもパイナップルに似た実をつける「アダン」が植えられていた。



パイナップルに似た果実。
果実は多数集まって長さ15~20cmの広楕円形~球形の集合果となっていた。



この樹は?



花の蕾が虫の姿の如くに。
「モンパノキ(紋羽の木)」であろう。
「​モンパノキ​ 」👈リンク は初夏から晩秋にかけて小枝の先端に集合花序を出し淡い緑色の花を
咲かせるのだ。
モンパノキは英語で、「Octopus bush」と。直ぐには英語でOctopus bush(タコの灌木)と
現す意味が分からなかったが、下のモンパノキの写真をじっくり見て理解できた。
モンパノキの蕾は、タコの足の吸盤が並んだように見えたのであった。



城跡の如き石垣の光景も。



「21世紀の森公園野外ステージ」の観客席を造る石垣のようであった。



ぐるっと廻って次に訪ねたのが「大瀬原龍神」。



「大瀬原龍神」。
21世紀の森公園近くにある竜神様。
海に囲まれた沖縄では、古くから自然の力を敬い、自然の恵みに対して感謝することを大切に
してきました。そのため、海や水の守り神である龍神様を敬い、沖縄の各地の数多くの場所に、
龍神様を祀った拝所が作られているのだと。



野良猫に餌を与えている女性の姿もあった。
コロナ禍からRemote Workが可能になったので沖縄に転居して来たとその女性から。



「宇佐美海岸」の光景を楽しみながら進み「屋部川」を渡り川沿いを北に進み
次の目的地の「屋部の久護家」に向かう。近くの道路の両脇には「フクギ」の立木が。



ここが「屋部の久護家」の門。
名護市屋部175。



「沖縄県指定有形文化財(建造物) 屋部の久護家(くごけ)」。



中に入ると前庭にも「県指定有形文化財 屋部の久護家
附ひんぷん、井戸、文書2点、福木囲い」と刻まれた石碑があった。



屋敷の正面にあたのが「ひんぷん(屏風)」。昔の沖縄の家にあった魔除けの壁が現在も残されて
いるのだと。玄関の前にこの壁があることで、魔物(マジムン)が家に入れのを防ぐと。



「屋部の久護家」案内板。



「屋部の久護家
屋部の久護家は、その屋号「久護」がそのまま集落名になったほどの旧家です。
フクギに囲まれた長方形の屋敷2310㎡(約700坪)の東寄りに母屋があり、その東に池を配した
庭園があります。
主屋は1906年(明治39)に建築されたことが、所蔵の「本家新築之時日記」によって知られて
います。当初、屋敷は石垣で囲まれ、現在も残る主屋・ひんぷん(屏風)・カー(井戸)のほか、
アサギ(離れ屋)・メーヌャー(物置)・フール(便所)・イキムシヌヤー(家畜小屋)・ムミグラ
(籾蔵)が配されていました。1951年(昭和26 )までは主屋の西側にトゥングヮ(台所)を附属して
いましたが、それを解体し、三番座などの改築を経て、現在に至ります。その後、1973年
(昭和48 )に屋根の葺き替え、1989年(平成元)から1991年(平成3)に半解体修理を行いました。
広い間取りや天井の高さ、周囲に深く回されたアマハジ(軒)などに、地方豪農の建物としての
特徴をよく残しています。
なお、主屋に伴い、フクギ囲い・ひんぷん・井戸、・文書2点(「本家新築之日記」・
「元祖由来記」)も文化財に指定されています。」



「主屋現況平面図」(上)、「主屋当初推定平面図」(下)。
1951年(昭和26)までは主屋の西側にトゥングヮ(台所)、室内井戸を附属していたが解体した と。



「主屋」を正面から。南向きに建てられた「屋部の久護家」。



屋根には「シーサー」。



ズームして。



「個人の住宅です。
建物内への無断で立ち入ることのないようご配慮をお願い申し上げます。」



「一番座」と呼ばれる部屋の「床の間」。



「床の間」の「掛け軸」。



主屋を西側から見る。
軒を支える柱は、自然木の樹皮を剥いただけ、丸みを帯びた根本をそのまま利用し台石の上に。
この自然木の名は?



「二番座」・「居間」。



先祖の方々の写真。久護家三代の遺影であろうか。



主屋の裏側。奥から「一番裏座」四畳半、「二番裏座」六畳の部屋があった。
「二番裏座」には階段も付けられていた。



この部屋・「三番座」の扇風機が回っていたが。



庭の隅にあった井戸。



「二番座・八畳間の奥の柱には「久持勤倹昌其後」の文字が。
どのような意味なのであろうか?
「ずっとまじめに稼いで無駄遣いしなければ家はのちのち栄える」であると
「校閲」の師からLINEをいただきました。



ズームして。



軒の屋根下を見上げる。



屋根の最頂部にもシーサーが。



再び「屋部の久護家」の門柱を見る。



「石敢當」。



門から離れて。
フクギ(福木)に囲まれた「屋部の久護家」。



背の嵩いフクギ(福木)が塀の内側に並ぶ。
真っ直ぐに生え幹が丈夫で葉が密に付き風害や塩害に強い為防風林とされたり、耐火性がある
ことから屋敷林として植栽されているのだ。




                              ・・・​もどる​・・・


                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.10.29 07:01:33
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