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JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.10.07
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カテゴリ:JINさんの農園
この日は8月30日(水)、夕方からJR飯田橋駅近くで、4年前のブルガリア・ルーマニア旅行の
旅友との飲み会があるので、早めに自宅を出て、小田急線・新宿経由で飯田橋駅まで行き
飯田橋駅東口に出る。



目白通りを東に向かって進む。
ガード下にあった、この場所の周辺の地図。



目白通りの九段下方向を見る。



その先、歩道左側に石碑があった。



飯田橋 散歩路(サンポーロ)
この後に訪ねた歴史のプロムナード
昔々 縄文時代の頃 このあたりは波の打ち寄せる入江でした。その後 海は後退し 葦の生い
茂る
広い湿地となりました。
徳川家康が江戸に来て大規模な築城工事が行われ湿地から旗本屋敷にかわりました。
九段坂、中坂を中心とした元飯田町は町人の町として賑わいましたが明治になって
旗本屋敷の後には住む人もいなくなり一時は大変さびれました。
しかし 次第に賑わいを取り戻し現在のようなビル街に変わりました
この飯田橋散歩路に標柱を建てこの町の移りかわりを示します。
千代田区飯田橋の町を南北につらぬくメインストリート 目白通り。
その歩道には「飯田橋散歩路(サンポーロ)」と称する道標を兼ねた石柱が置かれていた。
設置されている標柱で私が訪ねることが出来たのは順番に以下である。
●東京農業大学 開校の地
◯飯田橋
●日本大学開校の地
●東京府立第四中学校 発祥の地
●國學院大学 開校の地
●日本赤十字社跡
●甲武鉄道 飯田町駅
●歴史のプロムナード(上記)
●徽章業発祥の地
・銅板A
●北辰社牧場跡
●台所町跡
◯飯田町
●東京女子医科大学 発祥の地
滝沢馬琴 硯の井戸
元飯田町跡
築土神社



東京農業大学 開校の地」標柱。
千代田区飯田橋4丁目9−11。



東京農業大学 開校の地
明治24年(1891)、 東京農大の原点「育英黌農業科」が、当地で産声を上げました。

生みの親は、逓信、農商務、文部、外務の大臣などを歴任した榎本武揚でした。
明治26年(1893)、現在の中央線である 甲武鉄道の新設工事、また農場用地取得のため
大塚窪町に移転しました。」



目白通り
目白通りは、千代田区の靖国通りから、練馬の関越自動車道の練馬インターに至る延長16kmの
2~6車線の都道。 JR飯田橋駅前やJR目白駅前、西武池袋線の練馬駅付近を通るほか、沿道には
椿山荘や東京カテドラル、日本女子大学、学習院大学、武蔵大学がある。
正式名称は都道8号千代田練馬田無線(ちよだねりまたなしせん)。



目白通りの反対側にあったのが「飯田橋」石碑。
千代田区飯田橋3丁目6。



飯田橋
江戸時代、千代田区側は外堀の城壁である土居にかこまれて、この目白通りも飯田橋も
ありませんでした。
明治初年(1868)簡単な木橋がかけられましたが、明治14年(1881)に土居が掘切られて車の通行が
できる橋になりました。
明治23年(1890)には鉄製の橋にかわり、昭和4年(1929)に現在の橋がかかりました」



その先にあったのが高層ビル「東京区政会館」。
千代田区飯田橋3丁目5−1。



「東京区政会館」は、東京都千代田区飯田橋三丁目に所在する超高層ビル。
公益財団法人特別区協議会の事務所であるが、特別区相互の連絡調整を図るための場としての
役割も担う。また、東京都立大学飯田橋キャンパスが入居する。
特別区人事・厚生事務組合、東京23区清掃一部事務組合、東京都国民健康保険団体連合会、
飲食店、歯科医院等が入居しているとのこと。
この東京区政会館が完成する前は、千代田区九段北に​旧・東京区政会館
(現:特別区職員研修所)
​👈リンクがあったと。



地下3階、地上21階、高さ97mの「東京区政会館」を見上げて。



ビルの前にあったのが「發祥記念碑
國學院大學・日本大学の前身にあたる皇典講究所の元校地・飯田橋に置かれた碑。
日本大学と國學院大學が1985年(昭和60年)に設置したと。



發祥記念碑
明治十五年  有栖川宮熾仁親王を総裁としてこの地に皇典講究所創設
       同所を母体に 山田顕義所長のもと
明治二十二年 日本法律学校(現 日本大学)
明治二十三年 國学院(現 國学院大学)を開設す



石碑の左側に
昭和六十年十一月吉日 建立
        日本大学
        國学院大学」



中央に球形の赤御影石碑。



その隣にあったのが
日本医科大学付属第一病院記念碑」。



日本医科大学付属第一病院記念碑
七十三年の歴史
日本医科大学付属第一病院は、大正13年(1924年)に千代田区飯田橋の地に、日本医学専門学校
飯田橋医院として開院し、昭和6年(1931年)に当時の建築の粋を集め、近世スパニッシュ装飾を
施して建てられた。日本医科大学の付属の病院として、日本の医学教育及びいりの発展に大きく
貢献してきたが、平成9年9月30日(1997年)閉院した。」。
千代田区飯田橋3丁目5。



日本医科大学付属第一病院記念碑の碑面に刻されている写真をズームして。



千代田区町名由来板 飯田橋」。



千代田区町名由来板 飯田橋
飯田橋

天正十八年(1590) 、徳川家康は領主として江戸にやってきました。関東入りしてほどなく、
家康は現在の飯田橋(いいだばし)周辺を視察しています。このとき案内役を買って出たのが、
飯田喜兵衛(きへえ)という住人でした。喜兵衛の懇切丁寧な案内を、家康はよほど気に入った
のでしょう。視察後、彼を名主(なぬし)に任命し、さらに土地の名前まで、喜兵衛にちなんで
飯田町(いいだまち)とするよう命じたのです。その後、この界隈(かいわい)は武家地と
なったため、正式な町名をもっていませんでしたが、「飯田町」は通称として使われ続けました。
明治五年(1872年)になると、元飯田町や周辺の武家屋敷などが、飯田町一丁目~六丁目に
再編されます。通称として親しまれた「飯田」は、明治維新後にようやく正式な町名となった
のでした。そして昭和八年(1933年)、飯田町四丁目の北側、同五丁目と六丁目などが、新たに
飯田町二丁目となりました。
飯田町の北側にある江戸城外堀に橋が架けられたのは明治十四年(1881年)のことです。
橋は町の名前にちなんで「飯田橋」と命名されました。その後、明治二十三年(1890年)に
修築されたのち、同四十一年(1908年)には鉄橋に、昭和四年(1929年)にはコンクリート製の
橋に改良され、現在に至っています。
その橋の名が、町名として採用されたのは、昭和四十一年(1966年)のことです。このとき、
飯田町二丁目は町中をつらぬく目白通りを境に、東側が飯田橋三丁目、西側は富士見町二丁目の
一部を編入して飯田橋四丁目になりました。」



「飯田橋」界隈(安政三年・一八五六)
現在地はここ。



そして「日本大学 開校の地」石碑。
千代田区飯田橋3丁目5。



日本大学 開校の地
明治22年(1889)、ここ皇典講究所内に維新の志士、吉田松陰門下、時の司法大臣と所長である
山田顕義 により 日本法律学校が創立されました。
これは、 日本大学の前身にあたります。明治28年(1895)に三崎町に移りました。」



再び「東京区政会館」を見上げて。



現在位置はここ。



その先にあったのが
東京府立第四中學校発祥の地」石碑
千代田区飯田橋3丁目5。



東京府立第四中學校発祥の地
明治34年(1901)、東京府立第四中学校が、この地にあった皇典講究所で開校しました。
同所は 明治15年(1882)に国学を研究する目的で設けられたもので,、明治21年(1888)に
同じ地内に開設された補充中学校が、共立中学校、東京府城北尋常中学校と名を変えて
府立第四中学校となったものです。その後、府立四中は明治37年(1904)に市ヶ谷加賀町に
移転し、戦後は新宿区戸山町に移り東京都立戸山高等学校となっています。」



さらにその先に
國學院大學開校の地」石碑。



國學院大學開校の地
明治15年(1882)、この地、旧飯田町5丁目に国学を研究する皇典講究所が設けられました。
明治23年(1890)、皇典講究所を母体として、所長山田顕義によって國學院が開校しました。
現在の國學院大學です。
大正12年(1923)、渋谷に移りました。」



「飯田橋3丁目」の交差点を渡り少し進むとあったのが
日本赤十字社跡記念碑」



日本赤十字社跡記念碑
明治十年(一八七七)西南の役の時、佐野常民は博愛社を結成し、傷兵の救護活動を開始しました。
明治十九年(一八八六)、旧麹町区飯田町四丁目、現在のJR飯田町貨物駅のところに博愛社が病院を
建てました。その年、日本は国際赤十字条約に加入し、翌二十年に博愛社は日本赤十字社と名を
改めました。明治二十七年(一八九四)、甲武鉄道が飯田町駅を建設するため立ち退き、この地に
移転、大正元年(一九一ニ)に芝に移るまでここにありました」


再び横断歩道を渡り引き返したが行き過ぎ、戻って路地を左手に折れて進む。



ガード手前の道を右折。



進んで行くと正面に線路跡が現れた。



JR水道橋駅と飯田橋駅の中間あたり、ホテルメトロポリタンとアイガーデンテラスの間の
スペースに、かつての甲武鉄道の線路跡が残っていた。飯田町駅は東京側のターミナル駅で、
後に国鉄の貨物駅となったが、鉄道貨物輸送の減少で平成11年に廃止になった。
今は、残された線路跡がかつての鉄道の存在を伝えているのであった。



明治22年、新宿~八王子間に甲武鉄道が開業し、その後に延長され、飯田町駅が開業。
そこが、現在の中央線の始発駅となったとのこと。さらに、日本初の電車が運転され、
その後、甲武鉄道は国有化され、昭和初期ころには飯田町駅は貨物専用駅となったとのこと。
つまり、JR中央線の始まりとなった起点スポットがここであると。



現在地はここ。



「アイ ガーデンテラス」前から「甲武鉄道の線路跡」を振り返る。



左側にあったのが「大和ハウス東京ビル」。



「大和ハウス工業株式会社」
グループシンボルマークはエンドレスハート。
「顧客との絆、大和ハウスグループの連帯感と絆が包み込む優しいハート。
メビウスの輪を想起させる造形は、絶えることのないグループの行動と、無限に続く
成長・発展性を表しています。
中心の正円はグループの原点であり、和を意味します。」と。



GardenAir 公開空地標示
この広場及び道路は、建築基準法に基づく総合設計制度並びに同法第86条第2項の規定に
基づき認定を受け設けられた公開空地で、歩行者が日常自由に進行又は利用できるものです。」

1971(昭和46)年に創設された総合設計制度に基づいて、ビルやマンションの敷地に設けられた
一般公衆が自由に出入りできる空間のことを「公開空地」と呼ぶ。
総合設計制度は、正式には「敷地内に広い空地を有する建築物の容積率等の特例」という名称で
ある(建築基準法第59条の2)。これは、建築物の敷地内に一定以上の公開空地を有する等の
条件を満たす建築物について、容積率や各種の高さ制限を特定行政庁が緩和するという
制度である。
言い換えれば、容積率等をボーナスとして与えることにより、開発者に公開空地を作るように
促すという制度であるということができる。この総合設計制度により作られた公開空地は、
一般公衆が自由に通行できる空間でなければならず、通路や植栽を整備した快適な空間と
することが多い と。



GardenAir 公開空地」案内地図。



「飯田橋アイガーデンテラス」3階テラスから甲武鉄道の線路跡を見下ろす。



甲武鉄道「ゼロキロポスト」モニュメント



1895年(明治28年)甲武鉄道始点の地」。
甲武鉄道(現:中央線)年譜
1889年(明治22) 新宿ーハ王子間に甲武鉄道か開業
1895年(明治28) 飯田町駅か開業、始発駅となる
1904年(明治37) 飯田町ー中野間か電化 御茶ノ水駅開業
1906年(明治39)   国有化
1933年(昭和8)     飯田町駅が旅客取扱いを廃止し貨物専用駅となる



当時の「甲武鉄道飯田町駅」の写真。



在りし日の甲武鉄道 
航空写真 をネットから。



この写真の場所にはなかった「甲武鉄道飯田町駅」石碑をネットから。
探したが、残念ながら発見できず。



よってこちらもネットから。
甲武鉄道飯田町駅
明治22年(1889)、新宿-八王子間に甲武鉄道が開業し、同28年(1895)には市街線として
延長され、飯田町駅が開業し現在の中央線の始発駅となりました。同37年(1904)我が国で
始めて飯田町-中野間で電車が運転され、円板型自動信号機が設置されました。
その後甲武鉄道は御茶ノ水方面に延長されました。
同39年(1906)、甲武鉄道は国有化され、昭和8年(1933)に飯田町駅は貨物専用駅と
なりました。この奥のホテルエドモントが旧駅構内で、改札口は小石川橋側にありました。」







                 ・
・・​つづく​・・・


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Last updated  2023.10.11 17:23:18
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