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テーマ:時事問題評論(3069)
カテゴリ:時事問題
教育再生会議の第2次報告が,道徳の授業を見直し「徳育」を新たな教科とすることを提言した。それを受け産經新聞『主張』は
学力とともに規範意識を身につけ,豊かな感性や情操を育むことは,教育再生のため重視すべきで,評価したい。(6月2日付) と言う。が,第2次報告は,「徳育」という科目を新たに設置するよう提言しただけで,具体的中身には触れていない。したがって,「徳育」という科目を新たに設置すれば,規範意識が身に付くだの,豊かな感性や情操を育めるなどと考えるのは,主張子の勝手な思い込みに過ぎないのである。はっきり言って,安倍政権はこの手の中身のない側(がわ)だけの話が多すぎるように思われる。 実際現在も小中学校では「道徳」の時間が週1時間ある。これが形骸化してしまったのは,側があっても中身がなかったからではないか。国の価値観の押しつけだとか戦前の修身の復活だとかいった教員側からの批判があったりなどして「道徳」の授業運営がままならず,面倒を避けるかのように他の科目に振り替えてしまったり,進路指導に使われたりしてきた経緯がある。 <提言では教科書をつくることにも踏み込み,多様な教材を活用が提案された>(同)。が,これは裏返せば,具体的内容が現段階ではまだ固まっていないことを意味するのである。 戦前の修身的な教科書から戦後の人権思想を重んじた教科書まで様々な教科書が登場するのかもしれない。が,歴史教科書の一件でも明らかなように,採択されない教科書は淘汰されてしまう運命にある。道徳あるいは徳育が崩壊させた戦後思潮が蔓延した世の中において,道徳や徳育を復興させられるような教科書が採択される可能性は極めて低いのではないか。だからこのような側だけの話は絵に描いた餅にしかならないのである。(続) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.03 16:52:15
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