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テーマ:ニュース(99486)
カテゴリ:PC・通信・IT関係
LINEが映す、世代のズレ 「。」ついた文末、「マルハラ」?
無料通信アプリ「LINE(ライン)」などで文末に「。」(句点、マル)を付けるのは若者に恐怖心を抱かせる「マルハラスメント」――。SNS(ネット交流サービス)でそんな造語が話題になっている。なぜ怖い? 考えすぎ? 若者言葉に詳しい専門家2人に読み解いてもらった。 「承知しました。」「ありがとう。」 マルハラスメント(マルハラ)とは、このようなメッセージを見た若者が、文末の句点を「威圧的」「冷たい」などと感じる現象を指す。例えば会社の上司がこのようなメッセージを送るとハラスメント(嫌がらせ)になりかねないというのだ。 --- マルハラ?まったく知らなかったので、ふと我が家のLINEグループを開いてみました。私と相棒は当然句読点付きで、子どもは句読点なし、いやまったく気が付いていませんでしたよ。 わたし ×ちゃんお風呂掃除してくれた? 洗濯は、今日は少ないからいいと思う。 子ども した 帰り何時くらい? わたし 帰りは遅い。9時は過ぎる。10時近いかも。 子ども 先にご飯食べてるね わたし はいはい。 いつもこんな感じ。 しかし、その「。」がハラスメント?いや、さすがにその発想はなかったけど、子どもはまさかそう思って・・・・・いないだろうな、さすがに。とはいえ、ハラスメント云々はともかく、子どもの各文章に句読点がないことに気付いていませんでしたよ。「!」や「?」はあり、改行が読点の代わりになっているのかな。 言語は生き物です。決して不変ではありません。ただ、その変化がそのまま定着するかどうかは分かりません。単語や、ちょっとした言い回しなどは新しい言葉が出てきても、あっという間に古くなってしまいます。現在50代の私が20代の頃に流行した言葉なんて、かなりの部分が死語です。例えば「ナウい」とか(笑)。 最近の主にネット上の言葉遣いの移り変わりは、さらに早い。「逝ってよし」「あけおめ」「ことよろ」なんて、上記の「ナウい」よりずっと新しいはずですが、とうに使っている人はいないでしょう。 そういった個別の単語やちょっとした言い回しの変動はともかく、より根本的な日本語体系は、そんなにあっという間に変わってしまうものでもありません。 少なくとも100年前の日本語を今読んでも、何が書いてあるかはあまり問題なく理解できます。江戸末期頃の言葉も、今とそれほど変わらないと言われます※。これが1000年前の平安時代になると、例えば「源氏物語」や「枕草子」は、何を書いているか、現代人には、古文を勉強しなければさっぱりわからなくなりますが。 ※もっとも、現代人が200年前の日本語を聞いてもだいたい理解す出来ますが、200年前の人が現在の日本語を聞いて理解できるかは、また逆です。「パソコン」「電話」「電車」「選挙」・・・・・外来語もそうでないものも含めて、存在自体を知らない概念が大量にあるでしょうから。 したがって、この用法がこのまま定着するのかどうかは、まだ何とも言えません。10年後には、また違う用法が定着しているかもしれません。 それに、言葉の変化を考える上では、学校教育の存在も無視できません。学校教育で国語の授業が存在し、そこで句読点を教えている限り、句読点があるのが「正しい日本語」と公式には扱われ続けるはずです。様々な分野の公的な文書、かしこまった文書でも、そうであり続けるでしょう。 そうすると、この種の新しい用法も、すぐに流れ去って過去のものになってしまうかもしれません。 と、50代のおじさんの悪あがきを並べてみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.29 19:00:10
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