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2011.04.05
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カテゴリ:健康
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第071話 「医学と魔術」

 病気になれば病院へ!というのが私のモットーですが(大笑)、沖縄の”医者半分、ユタ半分”という至言に象徴されるように、100%の人が医者に頼るというわけでもなく、また、医者が100%の患者を快復させているわけでもないのは御存知の通り。

 その意味では、病気になったら医者へ行くというのも自己責任の部分があるということで、医者も100%治せるわけではないのは御存知の通りで、”病膏肓に入る”とか”医者も匙を投げた”という慣用句があるのも御存知の通り。

 日本の医学というか医術の歴史を見ていると、西洋医学一辺倒になるのは明治以降の事で、脱亜入欧は医学の分野にも及んだため、いわゆる漢方や骨接ぎ、按摩の類を医学として公的には認めない方向で世の中が動いたのは比較的知られた話になります。

 厳密には、治療して一定の効果が認められれば医学として公認されていくことになったのですが、中国医学が伝来した漢方、漢方を日本向けにアレンジした和方、骨接ぎや脱臼などに特化していた武術系の骨接ぎ、座頭など目の不自由な人が従事する事が多かった按摩などなど、既に”それで飯を食っていた”人がいた療術が複数存在していました。

 ちなみに、近代整体が療術として一定の効果がある技法を整理し体系化されるのは、かなり後の大正の終わりの頃の話になるのですが、野口整体など”腹診”に代表される和方の技法の伝承とカイロプラクティスなど西洋の骨格矯正技術を導入した流派があったりします。

 しかしながら、”腹診”や”脈診”など、従来の和方が得意とした分野を習得するのは手間暇がかかる上に適性が問題となるため、頭が良ければ習得できるとは限らない、ある意味で武術の修行と同じようなところがあり、確かに公費を投入して養成するには効率が悪いところがあります。

 また、世の中が世知辛くなってくると、とりあえず即効性のある技を習得して開業する人も珍しく無くなっていき、いわゆる”パターン施術”が開発されていくのですが、そのパターン施術にしても、安全に施術できるようになるには才能に恵まれた人でも3~4年は必要ではないかと(私は)思います。

 現実問題、10年を越えて研鑽しても使い物になるかどうかが分からないのが”腹診”の怖いところなのですが、それ故に、腹診と施術の分野もまた、”ぜんぶパターン化して揉んでしまえ”という”腸もみ”が一つのパターン施術になってきていたりしますが、全否定するのではなく、何事にもメリットデメリットがあると考えるべきかもしれません。

 整体の定番である骨盤調整に関しては、野口整体の産褥体操が出発点になっている技法が主流ですが、カイロプラクティスなどの腸骨転移関連の技法で対応するノウハウがありますから、”仙腸骨関節がずれたままになることが珍しく無い”という事を認めた整体やカイロプラクティスなどの療術と、”仙腸関節は不動関節である”としてきた接骨(柔道整復)や西洋医学との最大の違いにもなっています。

 最近、目が点になったのは、某接骨(なぜか整骨と看板を出す事が多くなっていますが)院の某先生が、自分が数年前に初めて発見したかのように仙腸関節がズレることによる体の不調とその矯正について記述した書籍に遭遇したことで、”いやいや、その段階は既に民間療術は四半世紀前に通り過ぎてる ・・・”と突っ込みを入れたくなりました(笑)。

 もちろん、整体の施術の前提は、”骨が物理的に変形していないこと”で、例えば、骨棘が発達して骨と骨とが融合してしまっているような場合まで効果が出るわけもなく、その意味でも、”まずはレントゲンやMRIなどでしっかり診断ができるお医者さんへ行って下さい”というのが私のモットーになっているわけです。

 しばしば書いているように、西洋医学で難病とされるものは整体でも難病なわけで、次々と患者が押し掛けてくるお医者さんと違って、(儲けには繋がり難いですが)整体の場合はある程度の手間暇をかけることができることで慢性化した生活習慣や職業病の類にもある程度の改善が期待できるという程度の認識でいいのではないかと。

 もっとも、私は”一度施術すればパッと治って、二度と症状がぶり返さないような施術ができたためしがない”一流とは程遠い整体師ですから、奇跡のような結果を出している療術家の方から言わせれば”それはお前が未熟だからだ!”ということになるのかもしれませんが。

 それはともかく、なぜ明治になると同時に日本の医学が西洋医学一辺倒になったのか?というと、それは”即効性があったから”と”細菌学が発達していたから”の2点ではないかという気がしないでもありません ・・・ つまり、実証してみせたわけです。

 一つに、欧羅巴はペストに象徴される致死性の伝染病に中世以降悩まされ続けたことで、その対処方法と治療方法が日本よりも遙かに発達していたことと、明治の頃にちょうど伝染病や感染症の原因(の一つ)として目に見えないサイズの細菌が注目されるようになり、漢方や和方では治癒率が低かった病気が高確率で治せるようになっていったことが大きかったのではないかと。

 また、鉄砲や大砲を使った戦争が大量殺戮の時代に突入したことで、輸血や麻酔の研究を含む外科の分野が急速に進歩し、欧米列強諸国との植民地戦争が想定される時代だけに、兵隊の生存率を上げるという観点から、切ったり縫ったり繋げたりという従来の漢方や和方には皆無に近かったノウハウを持ち、やはり実際に助けて見せたことが大きかったなあと。

 誰だって命は惜しいわけで、同じだけの金を事前に投入するのならば生存確率が高い医学に積極的に投資するのは当然の選択ということですが、問題は、世の中が平和になってくると西洋医学だけではカバーしきれない病気があり、そもそも西洋医学では病気に区分されない(それでいてかなり辛い)体の不調の解消や緩和が求められる現実もあったわけです。

 その辺り、西洋医学が得意とするジャンルは西洋医学が抜群の治癒実績を誇っているわけですから、”まずは病院へ!”ということになるわけですが、いかんせん、単位時間あたりに捌かなければならない患者数があまりに多く”10分診療”にならざるおえないようです ・・・ まあ、そんなこんなで隙間が産まれ、私が整体で飯を食う余地があるわけですが。

 私に言わせればですが、西洋医学の外科が戦争で患者が大量発生するようになって急速に進歩したのに対して、内科は長年悩まされたペストなど伝染病対策から細菌学などが発達して治癒実績が上昇したということになるのですが、外科も内科も、抗生物質という魔法の薬が登場したことで一気に他の医学との差別化に成功することになります。

 時間がかかる本人の治癒能力を上昇させて対抗するよりも、抗生物質を投入して有害な細菌の類を殺してしまえば病状の悪化が以前と比べれば奇跡的に防ぐことができ治癒にも繋がる時代の到来は、何よりも、日本の国民病だった”結核”を駆除してみせたことで実証されているわけで、私には西洋医学が駄目だという気はさらさらありません。

 が、多剤耐性菌の登場に見られるように、抗生物質が効かない(致死性の)毒性の強い細菌が次第に増加し、院内感染に象徴される病院内での感染リスクなどを考えるとき、確かに”う~ん”と考える必要が出てきているのも確かな話で、医療費負担の高額化も頭の痛いところですし、できるだけ病気にならない健康体を維持するための整体という発想が必要なのだろうなと。

 その延長上に”(日頃は不摂生をしていても)いつまでも若く、美しくありたい”という厚かましいニーズがあることも、やっと最近、腑に落ちたのですが、その辺りの話はまた別の機会に。

 私的な尺度で、西洋近代医学の父といえば16世紀の欧羅巴で活躍したパラケルスス(1493か1494~1541:本名・Theophrastus Bombastus vonHohenheim:瑞西)で、その奇行から”医学界のルター”と称されることもあるのですが、各地の大学を歴訪した後、1512年に伊太利亜のフェラーラ大学の医学部に学んで卒業し、欧羅巴各都市、阿弗利加、中東、亜細亜など世界各地を漂泊、一時バーゼルで医学を講じています。

 が、1527年にバーゼル大学の医師兼医学部教授職に推薦されたものの、当時の医学界のバイブルとされていたアヴィケンナの”正典”を人前で焼き捨てたことや、ガレノスやイブン・シーナーといった当時の伝統的教説に対する激烈な批判などなどで棒に振っています ・・・ 本人はそれほど気にしていないようですが(笑)。

 ロマニー(ジプシーですな)の助産婦たちの知識を取り入れたり、カトリックでは異端とされた宗派の医学知識を取り入れたり、錬金術や呪術の類を取り入れたこともあり、その治癒実績は当時としては奇跡の水準だったともされているのですが、いわゆる”浮いた”存在でもあったようで、異端として排斥したがる人には不自由しなかったようです。

 もっとも、何時の世もそうですが、いざ自分を治療できる可能性が唯一あるのがパラケルススだけとなれば、その足下に跪く人も珍しくなく、宗教裁判にかけられて火炙りにされることはなかったようです(笑)。

 主著とされるのは”ウォルメン・パラミルム”、”パラグラヌム”、”大天文学”、”医家の迷宮”などなど多岐に及ぶのですが、私に言わせれば”今後の24年間の予言(1536)”で、その中で予言されたように24年後に宗教改革が本格化したのは御存知の通り。

 医学文献をせっせと書くよりも実験や実証(実践)を優先し、怪しげな著作が多いにもかかわらず、医化学派の祖とされることがあるのがパラケルススの魅力で、医者なのか魔法使いなのかは意見が分かれるところかもしれません ・・・ ニュートンが科学者なのか魔法使いなのかで意見が分かれるように(大笑)。

 例えば、硫黄・水銀・塩を3原質とし、アルケウス、アルカナといった”根源物質”を想定した病因論・治療論の根底には、当時の医学の常識というよりも、錬金術や占星術のノウハウやフィチーノ流のミクロコスモス・マクロコスモス照応説、あるいは独逸神秘主義の影響を指摘する人が珍しく無かったりします。

 逆に、パラケルススの思想は薔薇十字団系の団体の思想にも受け継がれていくのですが、その実在が疑問視されることもある薔薇十字団に関してはまた別の機会に。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第071話:(2011/03/30)





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Last updated  2011.04.05 00:24:33
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