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2011.05.26
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カテゴリ:健康
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第115話 「胡瓜婦人」

 誕生日が私と1日違うお姫様にKちゃんがいて、ここのところ夏場になって周辺のオトナ達が”いかがなものか?”とぼやいているのが、胡瓜の偏食だったりします。

 たまにしか遭遇しない私が、”お姫様は夏が近くなると胡瓜だけを動力源に動いている”と思っている程度の偏食ですが、実際、胡瓜の他は少量の御飯と豆腐の味噌汁があれば事足りているようです。

 まあ、本人が食べたがらず体調も悪くなく、成長も人並みですから、無理に食べさせて肥満させるというか、脂肪細胞の数を幼少期に増やしてしまうと、後々デブになって痩せようとしたときに何かと大変ですから、後々の乙女心を斟酌すれば、フォアグラ製造の如く無理に食べさせる必要も無いんじゃないかと。

 当然、”(胡瓜の偏食で)大丈夫なんでしょうか?”と聞かれることもあるのですが、”それで病気になっていなければ大丈夫で、下手にいろいろなものを食べないとと頭で考えたものを無理に食べさせても仕方がない。”といった話の流れになるわけです。

 つまり、人の体というのは奇妙なモノで、本能がきちんと作動していれば、食べたいモノが体にとって必要なものに自然となっていて、頭で考えて無理に食べさせても体が必要としていなければ、ほぼそのままの形で外に出てくることも珍しくありません。

 もちろん、食物繊維のように、そのままの形で出てくることで腸内環境を整えたり便通を改善するという栄養学的には無意味な成分も生きていく上では摂取が必要となるのは体験的に知られた話だったりします。

 考えてみれば、小学校に入学する前どころか離乳食を食べ始めた頃でさえ、子供の側が御機嫌をそこねて口を閉じてしまうと無理に食べさせることは困難を極めるわけですし、小学校に通い始めたら通い始めたで、なぜか女の子達は”ダイエット”に邁進するようになり、親や先生の言うことに耳をどんどん貸さなくなっていく傾向があります。

 実際、小学2年生のときにSちゃんが珍しくお八つを食べるのを控えていたので、何事?と尋ねてみたら、学校の身体測定で体重を数日後に量るのでダイエットしていると真顔で答えてくれたことがあります ・・・ 結果がどうなったのかは聞いていませんが(笑)。

 ただ、食べる量や運動量と痩せているか太っているかには実は余り相関関係が無いというのが私の結論で、体質を痩せ体質(というか痩せ骨格)にしてしまえば、幾つかの食の注意点はあるものの、”やせの大食い”状態になっていきます。

 逆に、太り体質(というか太り骨格)の場合、それこそ”水を飲んでも太る”と嘆くことになりがちで、食を控えても思ったほど痩せられないことから自棄食いして肥え太る悲劇も散見されますが、心理的な負担を伴う食事制限を伴うダイエットで痩せた場合、不思議なくらい胸から痩せる傾向があります。

 もちろん、突き詰めれば、食べなければ痩せる子の方が多いのですが、食べなければ痩せることを突き詰めると摂食障害となり、食べることを体が受け付けなくなり、身長160センチ代、体重30キロ代という、文字通り骨と皮になっていくことがあり、食べて回復したくても食べられなくなっていることがあるのは御存知の通り。

 まあ、仕事や勉強が忙しくて食事が不規則になってふと気が付けば痩せていた人と、勉強や仕事が忙しくて”しっかり食べなくちゃ”と食事をちゃんとしていて、一段落して体重計に乗ってムンクさん状態になる人のどちらが幸せなのか私にはなんとも言えないのですが、ほとんどの女性があれこれ言いながらも、体重が一目盛りでも減るとにんまりしているような気がするのは気のせいか?

 また、以前”不食”について書いたことがありますが、霞を食べて生きていく仙人の話ではありませんが、数年以上も飲まず食わずで生きていることを政府や研究期間が公認している人が複数名実在しているのは比較的知られた話になり、そういった妙なことを知っていると近代栄養学への信仰が揺らいでくること請け合いです(笑)。

 興味深いのは、頸椎7番あたりから太陽光(太陽波動とでもいった方が適切か?)を1日に10分程度取りこめば、後は(中略)しているだけで十分という人は意外と多く、食事は習慣とか趣味の類で、食べるなといわれれば数年単位で食べなくても別に問題無いという人は、これまた複数実在します。

 もっと興味深い現象は、肥満体の餓死という話で、一般論として、体脂肪は何も食べない非常時にエネルギー源として利用されるといった説があり、水さえあれば自前の脂肪や筋肉(タンパク質ですな)を食い潰して対応することは比較的知られた、常識の部類と書いてもいいのかもしれませんが ・・・

・・・ が、実際に餓死した人間を調べてみると、確かにやせ衰えて餓死した人が多いことは事実なのですが、意外と、水の摂取は可能なのに体脂肪をふんだんに体内に残した状態で餓死して死んでいる理屈に合わない事例があったりします。

 非常時のエネルギー源にならないことがあるとすれば、なぜに体脂肪を備蓄する傾向が顕著な人が多いのか?なぜ、体脂肪より先に筋肉がエネルギー源として分解され消費されるのか?といった謎が出てくるわけで、私にも正直良く分かりません。

 ただ、体脂肪の主目的が”体温の維持”というか”防寒機能”とすればある程度辻褄があってくるのですが、どちらかといえば、それよりも、”水中における断熱保温効果”のための断熱素材のような気がしていまして、人は元来、水生哺乳類として進化していたのではないか?という話は以前にもしたことがあります。

 運動するには一定のエネルギーが必要とされ、そのエネルギーの供給源として食事や備蓄された体脂肪などがあるとされながら、特に乳幼児を見ていて思うことは”摂取カロリー以上に運動していないか?”ということで、”そんなに食べなくてもいいってこと?”という気がしています。

 また、国際的に有名なプロスポーツ選手に偏食家が意外と多く、それも極端な偏食を幼少時から続けている人がいる(いた)ことも比較的知られた話ですが、理論上は栄養学的に完璧な食事をした人のほうが良好なパフォーマンスを発揮しそうなものですが、現実がそうなっていないのは ・・・ これまた御存知の通り。

 というか、幼少時からの食事の内容が近代栄養学に反し、偏食をやめて近代栄養学に基づいた理想的な献立にすれば、これまでよりもより良い体のパフォーマンスが得られると ・・・ は限らず、かえって体調を崩して引退にまで追い込まれた事例は少なからず存在しています。

 まあ、砂糖と脂(油)を同時に大量摂取しないということは経験と数多の犠牲者から導き出されている数少ない、万人に共通した命を縮める食べ合わせ法則の一つですが、もろに該当する食品として”(クリームが大量に使われた)ドーナツ”で、珍しく私がごく希にしか食べないジャンルの食品だったりします(溜息)。

 ドーナツの摂取が数年に一度くらいの頻度になったからといって痩せたわけでは無いのですが(笑)、残念ながら酒と並んで摂取すると如実に体調が悪化し勘が鈍る事が自覚できるだけに、摂取しないにこしたことはないだろうなと ・・・ ま、個体差がありますから万人がそうだと言い切るつもりはさらさらありませんが。

 となると、クリームなどをふんだんに使った菓子パンの類も食べなくなったのですか?と聞かれるのですが、パンそのものの摂取頻度が低下してきていますが、次第に減らしているというのが現状か?ま、以前ほど”食べたい!”という欲求が無くなっていて、それはそれで残念なのですが(笑)。

 そういえば、世の中で偉人と呼ばれる人の食にまつわるエピソードで記憶に残っているものの中に、キューリ婦人にまつわる話があり、同時並行作業による時短に遭遇した最初で、その後の人生に多大な影響を受けたのですが、なぜか親や学校の先生は”一度になんでもかんでもやってはいけません!”という、いわば単線処理を主張していました。

 つまり、一度に二つ以上のことをやっていると、注意力が分散して結果的にどちらにも身が入らず中途半端になり、ろくな結果が出ないとでもいった理屈があるようで、それはそれでもっともなのですが、オトナになればなるほど、一度に複数の仕事を走らせる作業の複線化を処理できるかどうか?が処理能力の如実な差となっていくのは御存知の通り。

 その辺りの手際を”段取り力”と言ってもいいと思いますが、複線処理ができる人が単線処理に簡単に対応できても、単線処理しかできない人が複線処理(の処理速度)を要求されるとパニック状態に陥ってしまうことがままあるようで、しばしば言っている、自転車に乗れるか乗れないか、泳げるか泳げないかにも似て、それが出来ない人にとって、とても人類に可能なこととは思えないとしたもののようです。

 そういった傾向は、コンピュータの登場で加速することとなり、携帯電話からスマートフォンへと進化して高速通信が安価に可能なマルチ端末を常時持ち歩く環境が現実のものとなってくると、単位時間当たりの処理能力の差がパソコンが普及したことで2~3倍程度に拡大し、スマートフォンの普及で5~6倍に拡大しつつある(これを書いている時間帯は過渡期)と私には思われます。

 もちろん、”元ネタを思いつくかどうか?”の確率が1/2で、それを実行するかどうかの選択確率も1/2というのは私にとって定理の類ですが、私はニコラ・テスラ派でエジソン派ではありませんから、99%の努力を1%の閃きが凌ぐと信じています。

 したがって、現在加速している既存のデータのパターン化や順列組み合わせの高速化で創造性があるかのように振る舞っている”パロディ化の時代”は意外と短いと予測しているのですが、いずれにしても一昔前の数十倍の情報処理能力が要求されるようになっていく(であろう)若い子達は何かと大変だねえ ・・・ というか、中高年がその変化に対応できるかどうかの方が問題かもしれませんな(笑)。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第115話:(2011/05/20)





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Last updated  2011.05.26 00:23:16
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