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2020.09.09
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カテゴリ:教育・職業
帰ってきた怪しい話 第001話 「AIの普及と13個問題」

 とあるネットニュースを読んでいて、”私の高校時代の数学の先生たちは授業中に何度となく「数学は暗記だ」と放言して、数学のテストで点が取れない奴は勉強(=問題の暗記)が足りていない云々」とのたまわっていたけどなあ?と思ったのでした ・・・ 今を去るコト半世紀近い昔の話になってしまいますが(笑)。

 私が高校時代に”数学一”で躓いて、高校二年の最後というか高校三年になる春休みの時期に開眼していわゆる”数百人を越える牛蒡抜き”を達成し、共通一次テストの類では得点源にさえなったという自慢話(大笑)は以前に書いたことがありますが、(特に私の得意科目を知っている)高校時代の同級生たちからすれば、卒業後の私が統計処理関係でしばらく飯を食べ、インターネット黎明期にある意味で国のインターネット最前線で飯を食べていたというのは”何かの冗談?なろう系のネタか何か?”と思うのではないかと(しみじみ)。

 そういった過去の経験が言えばですが、”AIを含めてコンピュータを利用することに日本の数学の先生が教えたがる数学的な素養と言うのは不要”だと、私は、思いますし、”プログラミングにも数学的な素養は不要で、敢えて言えば6ケタくらいの算数は真面目に勉強しておいた方がいい”と思います ・・・ 物理学を専攻したり高度な数学の専門家を目指す人はこの限りではありませんが。

 念のために書いておくと、6ケタくらいまでの四則計算の習熟が主眼になるのが”算数(さんすう)”で、公式や定理といった先人たちの計算に関するショートカットの習熟が主眼になるのが中学~高校の”数学(すうがく)”だとざっくりと考えて置いてください。

 従って、AIどころか、初期の表計算をメイン機能としていたソフト”ロータス123”が登場し普及が本格化した1980年代前半に、”表計算ソフトの機能が向上した上で社会に普及し定着した場合の数学教育”とでもいったことを当時の文部省の偉い人達は考えるべきだったと、私は、思うのですが、彼らが考えて実行したのは”(暗記主体の受験戦争時代の教育を全否定した上での)ゆとり教育”だったわけです。

 それはさておき、小学校では公式や定理を用いた数学の手法で”さんすう”の問題を解いてはいけないというのがこれを書いている時点まで続いている学校の先生サイドの暗黙の前提のようで、結果的に、”のび太が受けている算数のテスト”のような珍問といか難問というか正気を疑うような算数のテストがネットでもちらほら話題になることがあるのは比較的知られた話になります。

 極論すれば、日本の小学校の算数教育というのは”いかに早く正確に四則計算をこなす能力を習得させるか”に特化しているわけで、中学以降で学ぶ数学の定理や公式の類を用いれば簡単に解答を得られる問題を”あえて鶴亀算だけを用いて解答させる”ことさえ真顔でやりかねない風土があるとも言えます ・・・ 筆算や暗算の計算速度は練習すれば大半の人が上昇してしまい”団栗の背比べ状態”になるためか、有名中学などの算数の入試問題で、(言語的なロジックまで駆使する)ひっかけ問題や珍問の類が頻出し続けていることは比較的知られた話かもねと。

 そう考えていくと、”あれ?じゃあ算数って100円ショップで電卓が買える時代になった頃には既に6ケタくらいの四則計算を筆算や暗算でできるようになれば、それ以上の学校教育は不要な時代になっていたってこと?”と勘付いた人こそ数学的な素養があるんじゃなかろうか?

 その延長として、”じゃあ、早く正確に四則計算を筆算や暗算で行う力が前提になっている中学以降の数学っで、数学の授業の時に電卓が使えれば楽に習得できたというか、電卓やコンピュータを使わない数学の授業って意味が無いってことじゃん?”と勘付いた人は、賢いなあ~。

 これを書いている時点で上級国民を形成している”学校の成績の良かった人達”というのは、電卓やコンピュータを用いた学習をしていない人達が大半ですが、電卓やコンピュータを用いると”筆算や暗算だけを前提とした数学教育のテストで高得点をマークして成績上位者に”なっていた”人の優位性というか”頭の良さ”とされてきた能力が既に大暴落しているということ。

 さて、冒頭の”13個問題”というのは、”外見からは見分けのつかない13個のオモリがあるとして、その内の一個だけは重さが違っている。3回だけ重さを(天秤などで)量って重さの違う一個を見つけるにはどうすればよいか?”とでもいった問題のことになります。

 まあ、えてして、数学的な考え方云々とか暗記では対応できない問題云々といった話で持ち出されることが多く、元ネタは”ハノイの塔”のような気がしないでもありませんが、”だから暗記主体の数学学習では駄目なんだ云々”と思考誘導したいときに乱用されるタイプの設問かもなと。

 私に言わせれば、典型的な”正解を知っていれば圧倒的な短時間で正解を提示できるタイプの頓智問題”で、解答に正解がないというか、複数の正解があるのが特徴ではないかと、一休さんかきちょむさんあたりを呼んで来いと言いたいですな(笑)。

 素直に考えると、13個を2分して、6個と7個の集団に分けて1回目の計量を行い、重かった集団を更に・・・と、考えてしまうのですが、”あれ、これって最終的に一個を特定すればいいんだから、最初に一つを取り除いて12個にして、6個と6個の集団に分けて1回目の計量を行ってそれが均等の重さだったらば、その1回だけで唯一重さの違うオモリって(最初に取り除いた一個だと)特定できるんじゃね?”とか思いつくことこそが、私に言わせれば、頓智の類ではないかと。

 さて、最初に除外した1個が異なる重さの1個で無かった場合、6個と6個に分けた集団では重さに違いが生じているハズですが、このあたりで”あれれ、これって問題文で異なる重さの一個が他より重いか軽いかの記述が必須じゃね?それが明示されてなきゃ不可能問題じゃね?”とか考えた人は学校の優等生タイプかもねとか思うものの、”解答方法をその場でアドリブで考え付け”と言うならそもそも学校教育そのものが不要じゃん?とも(大笑)。

 まあ、比較検討するために、集団Aを幾つかの小集団に再編して例えば、2つの集団BとCに分けて比較計量していくとか考えると、A=B+C=13、13>B>1、13>C>1 といった具合に前提や状況を整理することもできます ・・・ この辺りの状況整理はプログラミングの出発点と言えなくもないかなとも思いますが。

 ちなみに、この手の問題で異なる一個は他より重いとも軽いとも明示されないというのが一つの出題パターンだったりしますが、”複数のコップを使った水の計量問題”より悪辣なポイントと申せましょう(笑)。

 もっとも、ここまで書いておいてなんですが、”1個を取り除いて12個にし、6個と6個で重さを比較した場合。13分の1の確率で1回目で異分子を特定できるのですが、異なる1個が他より重いか軽いか分かっていないと残り2回で正解に必ず辿り着くというのは(私には)不可能だったりします。

 ここで思考を整理するためにも、設問における「解答の条件」に戻っておくと、”3回計量して、異なる重さの1個のオモリを特定する”ことですから、異なる1個が他より重いか軽いかが不明という前提下の3回目の計量に際して”1個と1個の比較”状態になっていては理論的には不可能問題の類だったりします。

 ということは、”これって、幾つかの集団を3回計量することで、特定の異分子を一つだけ炙り出すにはどうするか?ってことじゃね??”とか”集団と集団を計量することと構成している要素を計量することとは分けて考えればなんとかなるんじゃね?”とか、あれこれ設問の裏側まで考えるようになるとプログラミング思考入門にもなるわけです。

私だと、考え始める大前提として、

*1回目。
(1)13-1。で考えるんだろなと見当をつける。
まず比較や計算がしやすいように1個を除く。
12を幾つかの集団に個数で均等割りし、その集団の重量を計量して均等なら最初に除いた1個が異分子で確定。
(2)均等割りした集団どうしが重量比較で均等でなかった場合は、最初に除いた1個は標準の重量。異分子は均等割りした集団の方にいることが確定。
*2回目。
逆からも何をどうするか考えた方がよさそうだな。
*3回目。
最初に除いた1個は標準値の重さなので、それと比較して重いか、軽いか、同量かで異分子が特定できるため、2回目の計量が終了した段階というか3回めの計量に臨むときに2~4個までに個数を絞り込んでおけばよい。

とか考えた場合の流れだと、

13-1。12/3とし、A、B、C の3集団と番外の1個。として炙り出す。

*1回目
(3)A集団とB集団の比較。
 AとBが均等ならA=BなのでC集団(の4個)か番外が異分子。
 AとBが均等でなければ、AかB、いずれかに異分子。番外は標準値が確定。

*2回目
(4)A集団とB集団が均等だった場合の2回目。
 A集団とC集団も均等ならば、A=B=Cとなり番外が異分子で確定(解答ルート1)。
 
(5)A集団とB集団が均等でなかった場合の2回目。
 A集団とC集団も均等でなかった場合。自動的にB=CとなるのでA集団(の4個)に異分子がいることが確定。

*3回目
(6)A集団の4個から1個を除いた3個と番外の1個とで2個と2個の集団を形成して重量を計量。
均等なら除いた1個が異分子。(解答ルート2)。
均等でなければ、番外を加えた2個集団の方の番外以外の1個が異分子。(解答ルート3)。

かなと。

つまり、(6)の段階で一度も計量していないものの番外1個と、4個で形成されているA集団の内の3個の重さは同じなわけですから、全部で5個あるものを1回計量して1個の異分子を特定する問題、になるわけです ・・・ 私に言わせればですが。

*----------------
(6)を細かく書くと、n13
・A集団は、n1、n2、n3、n4とでも区分できる個体の集合で、この中の一つだけが重さが異なる異端の個体。
・最初に除外したn13の重さは標準重量。n1~n4の4つの個体の内のいずれか3つも同じ重量。

なので、天秤の左の皿にまずn1を、右の皿にn2を置いた場合、釣り合ったら、続いてどちらかにn13を乗せ、反対側にn3(かn4)を乗せます。
それでも釣り合ったら残っているn4(かn3)が異端の個体。

で、n1とn2がつり合わなかった場合、異端の個体はn1かn2のいずれかに特定されると同時に、重量的には n3=n4=n13 となります。

また、n1(あるいはn2)はn13と重さが、”同じ”、”軽い”、”重い”のいずれかが該当することにもなります。

そうした前提の下、n1がn2より重かったとして話を進めると、重いか軽いかは別としても、n1かn2のどちらかがn13と同じ標準の重さということになり、それは残りのn3、n4とも同じ重さということにもなります。

では、n1とn2のどちらが標準の重さなのか?と検証する場合、既に天秤に乗せたn1とn2ではn2の方が軽いわけですから、そちらに標準の重さであるn13を加えます。
そうすると、n13をn2に加えてもなおn1の方が”重い”か”つり合いが取れた”場合、n1が異端の個体と特定されます。
残りの可能性の、n2にn13を加えたらn1よりも重くなった場合は、n1の側にn3(かn4)を加えてみてn1+n3(かn4)の側がn2+n13の側より重くなるようならn1の異端が特定となります。

つまり、4つの個体の内の3つが同じ重さで1つだけが異なっていることがわかっている上て、既に二人はどちらが重くてどちらが軽いか計量が終って判明していて、残っているまだ天秤に乗っていない2つの個体は同じ重さであると同時に既に天秤に乗って計り終えているいずれかの個体とも同じ重さということも分かっているわけです。

文字だとややこしいですが、この場合、4人の内の3人が同じ体重という集団で二人組を2つ作るとその内の一つの組は必ず同じ体重となりますから、

*標準の重さをw、wとの重量差を(+α)とすれば、重さだけだと2組の間には、

W+W(+α)>W+W

という不等式が成立し、(+α)の付いてる重い個体が異端になることが分かります。
まあ、Wはn1~n4の内の3つとn13が該当、W(+α)はn1~n4の内の他の3つと共通していない1つという視点も使って、n1~n4の中からW(+α)に該当する個体を天秤を使って計量しながら絞り込んでいけばいいわけです。

ーーーーーーーーーー

もっと別のロジックももちろん存在すると思いますが、爺的にぱっと思いつくのはこんなところかなと ・・・ しみじみと学校を既に卒業していて良かったと思います(大笑)。

ただ、ここで指摘しておきたいのは、”これこれこんな風に考えてみればいんだよ”と一緒になって一度でもこの手の問題を解いた経験がある子と無い子とでは、類似の問題が出題された場合の解答に至る速度に顕著な差が生じやすい現実があるということ。

その意味では、”パターンを知っているか知らないか”の差は大きいということで、その意味でも”数学は暗記”だと私は思いますし、この手の学校の授業ではあまり熱心に教えていないタイプの設問に解答する能力を要求するのならば、まずは高校や大学の入学試験に電卓やパソコンの持ち込みないし、入学試験をパソコン端末から行う改革の方が先ではないかと。

マークシート方式の是非論はともかく、表計算ソフトの類は会社の仕事のレベルで使いこなせるのが日常の風景になっているのに、筆算や暗算が前提と言うか、(数学に限らず)手書きでいつまでテストの解答を書かせているのか?

大学入試で”漢字検定”や”英語検定”などの成績も加味する云々と言い出した、教育関係の偉い人たちの言動を見聞きするたびに、”ようは、自分たちが一番、コンピュータの利用が当たり前になっていく社会の変化に対応する気が無いってこと?”と思うのですが、中学校より上の学校の先生の正規雇用は廃止して、結果報酬のパートタイム制か、(累積型データベースと広域ネットワークを使った)AI先生に切り替えた方が安価で教育効率もいいんじゃね?

なんか、文部科学省や学校の先生の主張しているAI時代の教育云々を聞いていると”一度、問答無用で例外なしに全員を解雇して、パソコン検定の類で一定以上の資格を取得できない人材は再雇用しない”くらいのことをやらないと、いつまでたっても”うちの英語の先生は駅前留学(さえしない)”のままなんじゃねえかと思うわけです。

学校の先生が一番、コンピュータ関連に疎いことで定評のある日本の政治家たちよりも、IT化が進む社会に取り残されているホワイトカラーというか、ブルーカラーよりもコンピュータ社会に対応できないホワイトカラー人材の宝庫になってしまいつつあるんじゃなかろうか?

しみじみと、今、学生でなくてよかったと思ってます ・・・ 若い子ほどたいへんだねえ(笑)。





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Last updated  2020.09.10 04:00:39
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