「香様、どうしてここへ?」
「ああ、少し仕事でな。この宮殿に魔物が潜んでいるという情報を得たんだが、その気配はないな。」
香は蓮華と踊りながら辺りを見渡した。
ここには魔物の姿はおろか、その気配すら感じられない。
「人目の多い場所にいるとは限りませんわ。もしかしたら、この宮殿内の何処かに・・」
蓮華がそう言った時、大広間の入口から悲鳴が聞こえた。
「もしかしたら魔物かもしれませんわね。」
「行ってみるか。」
香と蓮華が悲鳴のした方へと向かうと、そこには令嬢が蒼褪めながらバルコニーの方を見つめていた。
「どうした?」
「さっき魔物が・・魔物が向こうに!」
「ありがとう。蓮華、行くぞ!」
香と蓮華はバルコニーから外へと飛び出した。
「大丈夫か?」
「ええ。それよりも何だか獣の臭いがしません? とても嫌な臭いだわ。」
蓮華はそう言うと、口元を覆った。
獣の臭いは2人が中庭の奥へと進むにつれて酷くなっていった。
暫くすると、漆黒の闇の中で何かが動く気配がした。
「蓮華、下がっていろ。」
香は腰に帯びていた日本刀の鯉口を切った。
すると、闇の中から口元を血で濡らした狼が香に向かって突進してきた。
「縛鬼伏邪(ばっきふくじゃ)、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
香は呪を唱えると、狼の横腹を薙ぎ払った。
狼は断末魔の叫び声を上げ、霧散していった。
「今のは、一体・・」
「この宮殿に潜んでいる魔物だ。まだ気配を感じるということは、他にもいるようだな。」
「ええ。戻りましょうか、香様。」
蓮華がそう言って背を向けて歩き出そうとした時、血の臭いを感じた彼女は、その時初めて中庭に倒れている少女を見つけた。
緑の芝生と長い金髪を血で濡らし、少女は苦しそうに呻きながら蓮華に向かって助けを求めるかのように手を伸ばした。
「待っていて、今助けてあげるからね。」
蓮華は呪文を唱えると、少女の傷口にそっと触れた。
「この子は確か・・」
「香様、この子を知っているんですか?」
蓮華の問いに香が答えようと口を開こうとした時、血相を変えたアベルが彼らの元へと走ってきた。
「璃音、しっかりしろ、璃音!」
「アベルさん、どうしてこんなところに璃音が?」
「それはわたしにも解りません・・一体何があったんです?」
「魔物に襲われたのかもしれん。あいつらにとって人魚の血肉は人間と同様不老不死の力を得ると同時に、妖力が増すものだからな。」
香はそう言うと、血の気のない璃音の前髪を掻き分けた。
額には、人魚の証が刻まれていた。
「璃音は助かりますか?」
「ああ。蓮華が力を使って治療したから心配は要らない。しかし、まだ警戒が必要だ。夜は余り出歩かないようにしないとな。」
「ええ・・」
アベルは璃音を抱き上げると、蓮華と香とともに中庭を後にした。
(アベル、その子は誰なの?)
アベルの腕に抱かれている少女を廊下で見かけたアデルは、アベルに声をかけようか迷ったが、結局彼に声を掛けることをやめた。
部屋に戻ったアデルは溜息を吐くと、寝台に寝転がった。
脳裡に何度も何度も浮かんでくるのは、少女を心配そうに見つめるアベルの姿だった。
(あの子はわたくしよりも大切な子なの、アベル?)
アデルの心があの少女の登場により、少しざわつき始めた。
にほんブログ村
ランキングに参加しております。
↑のバナーをクリックっしていただけると嬉しいです。