柚葉は京から遠く離れた東国の寂(さび)れた村長の邸で、新しい命の処置について悩んでいた。
男である自分が、まさか子を宿すなんて思いもしなかったので、妊娠は想定外の出来事だった。
だが、今自分が宿している腹の子の父親は、間違いなく愛しい人―有人なのだ。
愛しい人の子―たとえそれが血に飢えた化け物であっても、柚葉は産みたいと思っていた。
だが、胎内にいる双子の声を聞いてしまった時、もしこの子達がこの世に生を享けたら人間達を虐殺してしまうのではないかと恐れていた。
産むか、殺すか。
そのどちらかの選択肢をまだ、柚葉は選べないでいた。
「どうされたのですか?」
ふと顔を上げると、東下りしたものの、京に帰れないと宴で嘆いていた公達が自分を心配そうに見つめていた。
「あなたは確か、あの時の・・」
「京に帰りたいのですね・・わたしもどうしてあんな馬鹿な事を思いついてこうしてこんな所に来てしまったのだろうと、後悔しています。」
公達はそう言って月を仰ぎ見て溜息を吐いた。
そしてじっと柚葉を見つめて、彼の耳元で囁いた。
「一緒に京へ帰りませんか?」
「京へ・・あなたとともに?」
柚葉はじっと公達を見た。
この男を完全に信用していいのだろうか。
彼と会話を交わしたのは数える程度で、互いに顔を見ることもなかった。
(俺は、こいつを信じていいのか?もしかしたら、あの女が・・)
村長の妾が嫉妬のあまり自分を殺そうとしたことを思い出した。
あの時彼女は京へ連れて行くと嘘を吐き、人気のない山中で柚葉を夜盗の餌食にしようとしたのだ。
京に戻りたいのはやまやまだが、碌に顔を合わさず、会話もしていない相手に自分の命を託すことはできない。
“大丈夫だよ、母様。そいつは信用できるよ。”
脳内に腹の子の声が直接響いた。
“こいつ母様のこと好きだもの、母様を殺したりなんかしないよ。一緒に京に帰って父様に会わしてよ。”
目の前にいる男のことを完全に信用していいのかどうかはまだわからないが、ここから抜け出して京まで彼と行くことを、柚葉は決めた。
ここにいてはちっとも気が休まらないし、あの妾は柚葉を殺すことをまだ諦めてはいない。
「連れて行ってくださいませ、わたくしを京へ。」
「わかりました。では今着ている衣を脱いで、これにお着替え下さい。」
そう言って公達が差し出したのは、浅葱色の水干だった。
「女物よりも男物の方が多少動きやすいし、あなたは名家の姫君として顔が知られているので男装すればバレないでしょう。」
「ありがとうございます・・」
柚葉は公達から水干を受け取ってそれに着替えようとしたが、初めて男物の衣を着るので着方がわからなかったので、公達に着替えを手伝ってもらった。
なんとか姫君から少年の姿へと変身したが、腰まである金髪は流したままだ。
柚葉は懐剣に手を伸ばし、躊躇(ためらい)なく波打つ金髪を切った。
腰まであった金髪が背中までの長さとなり、柚葉はそれを一纏めに元結(もとゆい)で括った。
「さぁ、急ぎましょう。夜明けがもうすぐ近い。」
公達と柚葉は村長の邸から馬に乗り、村を後にした。
目指すは家族や恋人が待つ京である。
(待っていて下さい有人様・・必ずあなたの元へ辿り着いてみせます・・)
柚葉はそう思いながら、軽くなった髪に触れた。
髪を切った瞬間、今まで抱いていたしがらみから自由になったような気がした。
“姫”としての自分はもう死に、これからは普通の少年として生きるのだ。
たとえ、腹に子を宿していても。
公達と柚葉が乗った馬は、朝靄の中蹄の音を響かせながら消えていった。
その頃有人は帰りの牛車の中で深い溜息を吐いていた。
原因は言うまでもなく、あの若君である。
(あいつは一体、何を考えているんだ・・)
有人は眉間を揉みながら、更に深い溜息を吐いた。
にほんブログ村