「紅玉を儂に寄越せ!」
自分に唾を飛ばしながら、老鬼はそう言って柚葉の首筋に刃を突き立てた。
「誰がお前なんかに紅玉を渡すものか!」
柚葉は我が子を守るために老鬼の股間を蹴り、彼から懐剣を奪った。
「貴様は何者だ!何故俺の命を狙う!?」
老鬼に刃を突き立てながら、柚葉は彼にそう怒鳴った。
「お前は鬼族の血統を汚した。御前様は大層お怒りじゃ。じきにお前をその子ともども殺すであろう。」
甲高い声を上げて老鬼は柚葉が持っていた懐剣を足で弾き飛ばし、黒い靄の中へと去って行った。
「逃がすか!」
漆黒の闇と黒い靄の中で柚葉は走りながら老鬼の姿を探したが、彼はどこにもいなかった。
(逃げられたか・・)
舌打ちして部屋に戻ろうとした柚葉は、誰かに腕を掴まれた。
「やっと見つけた!」
黒い靄の中から現れた1人の女がそう言ってニッと口端を歪めて笑った。
よく見るとその女は自分と敵対していた藤原家の姫・彩加だった。
「やっと見つけたわ・・有人様をわたくしから奪った薄汚い泥棒猫!有人様はわたくしのものだったのに・・有人様は何処にいらっしゃるの!?」
そう言って自分を睨む彩加の瞳は真紅に染まっていた。
「有人は近江に俺が産んだ子とともにいる。」
「お前の・・子ですって!?」
彩加の顔が憤怒で醜く歪んだ。
「許せない・・有人様を誑かして子どもを作ったなんて・・許せないわ、柚葉!」
女とも思えぬ凄まじい力で彩加は柚葉を地面に押し倒し、彼の首を絞め始めた。
「お前はここで死んでもらうわ!お前さえいなければ有人様はわたくしを見てくださるもの!お前は邪魔なのよぉ!」
柚葉は彩加の瞳に宿る狂気の色が一層輝きを増していることに気付いた。
彩加はいつもどうやって権力を得られるか、自分が欲しいものをどうやって他人から奪える方法しか考えなかった女だ。そんな彼女を魔物が放っておくわけがない。
(哀れな女だ・・有人が自分をいつか愛してくれると思い込み、邪魔な者には牙を剥いて何の罪もない遥を殺して・・それでいてまだ闇に呑まれていることに気づかないなんて・・)
柚葉はそう思いながらフッと笑った。
「何が可笑しい!?自分が今死にかけようとしているのに、笑っているなんて呑気なものね!お前はいつもそう、いつもわたくしを馬鹿にしたような目で見ていた!わたくしより美しく、わたくしより頭が良く、わたくしより周囲の者に注目されて・・わたくしはお前がいつも憎くて憎くて堪らなかった!だからあいつと手を結んだ!」
「あいつ?一体誰の事だ?」
「決まっているでしょう、わたくしと同じお前が憎くて堪らないお前の親族。わたくしはお前を殺すためにやつと手を結んで・・」
その時、凄まじい悲鳴を上げて彩加が柚葉から離れた。
「わたしのことは話すなと言っただろう、このバカ女。」
氷のような冷たい声がして、1人の鬼が闇の中から姿を現した。
濃紺の直衣を纏ったその鬼は、腰に帯びていた太刀で彩加の胸を突き刺した。
彩加は声も出さずに地面に倒れた。
「お前は・・」
「初めまして、柚葉。僕は寧久。君の亡くなった父親の弟の息子、つまり君の従兄さ。君の存在は我が一族にとって邪魔なんだ。だからここで死んでくれない?」
天女のような優しい微笑みを浮かべたその鬼は、太刀を持ってゆっくりと柚葉に近づいた。
「俺が一体何をしたっていうんだ!?」
「それは今から死ぬ者が知らなくていいことさ!」
鬼はそう叫んで柚葉に太刀を振りかざした。
その時、有人が自分の名を呼んだような気がした。
「柚葉さん・・」
柚葉の前には、鬼の太刀を受け、瀕死の重傷を負った有人が柚葉に微笑んでいた。
「有人様・・どうして・・?」
「わたしは・・あなたのことを・・」
有人はそう言って柚葉の腕の中で意識を失った。
柚葉の絶叫が、闇夜に木霊(こだま)した。
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