「これはこれは、女御様。ご無沙汰しておりました。」
蜜匡はそう言うと御簾の向こう側に居る藤壺の女御に向かって跪いた。
柚聖も慌てて彼と同じようにした。
「そちらの方は? 初めて見るお顔だこと。」
「こちらは陰陽生の土御門柚聖と申す者。柚聖君、女御様にご挨拶を。」
「は、は、初めまして! 女御様にはご機嫌麗しく・・」
「まぁまぁ、そんなに緊張なさらないで。柚聖とやら、今年幾つになったの?」
「15になりました。」
「そう・・だったら何もかしこまることはないわね。同い年なんですもの。」
御簾の向こうでそう言いながら笑う女御の声は、人の心を癒す力を持っているようだった。
「あの、体調が優れないと伺ってこちらに参りましたが・・」
「あら、ただ風邪をひいただけだっていうのに、わたくしの女房達が大袈裟に騒ぎたてたのね。あなた方は御忙しいのに、お呼びしてごめんなさいね。」
「い、いいえ!」
「あなた方のやるべき事は、ここにはないから、陰陽寮へお戻りなさい。あなた方の手を煩わせた女房達にはわたくしからきつく叱っておくから。」
藤壺の女御はそう言うと再びあの朗らかな笑い声を上げた。
「恐れながら女御様、申し上げます。」
彼女に何もなくて良かったと、柚聖が安心していた時に、突然彼の隣に座っていた蜜匡が口を開いた。
「なぁに、蜜匡様?」
「少し内密なお話になりますので、御簾の近くに寄ってはくださいませぬか?」
「ええ、いいわよ。」
蜜匡はゆっくりと立ち上がると、御簾越しに女御と何か話をしていた。
(一体何をお話しされているんだろう?)
不安そうな顔で蜜匡の横顔を見た柚聖の肩を、有爾がそっと叩いた。
「どうしたの?」
「う~ん、何だか女御様と蜜匡様がお話しされているんだけれど・・」
「お二人は従兄妹同士だから仲がいいんだよ。女御様と蜜匡様は実のご兄妹のように幼いころからお育ちになられたから、蜜匡様を藤壺に呼び出しては話し相手をさせているんだってさ。」
「へぇ、そうなの・・」
宮中で長く暮らしている有爾から女御と蜜匡の関係を聞いて柚聖がそう相槌を打った時、女御と話を終えた蜜匡が柚聖を見た。
「女御様が君とお話ししたいそうだ。御簾越しではなく、お部屋の中で。」
「え?」
突然の事で女御と何を話せばいいのかわからない柚聖は、困惑した表情を浮かべながら蜜匡とともに御簾を捲って部屋の中へと入った。
「あなたが、柚聖さんね。」
上座には、唐紅の衣を纏った少女がそう言ってにっこりと柚聖に微笑んだ。
「あ、あの・・わたしと何をお話しに・・」
「ちょっとこちらに来て下さらない?」
「は、はぁ・・」
女御の言われるがままに、柚聖は彼女の前へとやって来た。
すると、女御はおもむろに柚聖が被っている烏帽子を取り、結っていた彼の髪を解き始めた。
「あの、一体何を?」
「まぁ、綺麗な御髪だこと。これなら大丈夫ね。霞、わたくしが持っている物で一番いい衣を持って来なさい。」
女御の傍に控えていた年嵩の女房が衣擦れの音を立てながら部屋から下がった。
「あのね、わたくし先ほど蜜匡様から頼まれたのよ。あなたを美しい女人に変身させてくださるようにって。だから、少しわたくしと付き合って下さらない事?」
(え・・今、なんて・・)
「あの、それは・・」
「お願い。」
女御の頼みを断ることもできず、柚聖は溜息を吐きながら静かに頷いた。
(一体蜜匡様は何をお考えなのだろう?)
柚聖はちらりと御簾の向こう―廊下に控えている蜜匡を見た。
柚聖の視線に気づいたのか、蜜匡はにっこりと彼に笑いかけた。
(蜜匡様・・)
何を思って彼が自分を女人に変身させようなどと女御に頼んだのか、柚聖は全くわからなかった。
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