ひらひらと、桜の花が舞っているような気がして、歳三(としみ)は窓の外を見た。
だが、そこには何もなかった。
ああ、ここはもう日本ではないのだなと、歳三は不意に我に返り、笑った。
「もう、春か・・」
彼女は窓の外に広がる初夏の景色を眺めながら、ここに桜の木を植えるべきだったなと思った。
桜を見れば、総司達の事をいつでも思い出せるから。
(勝っちゃん、総司、俺はあと何年でそこへ行けるかな・・)
「トシ、居るかい?」
「なんだ、またてめぇか。」
夫・アルフレドの姿を見るなり、歳三はそう言って溜息を吐いた。
「トシ、ウィーンに戻ってきてくれよ。君の誕生日を一緒に祝いたいんだ。」
「うるせぇな、誕生日は俺一人でも充分だよ。」
「お願いだから帰ってきてよぉ!」
「あ~、わかった。ウィーンに戻るからもう泣くなよ。」
都会の喧騒から離れて静かに暮らせると思っていた歳三であったが、アルフレドの泣き落としでウィーンへと戻ることになった。
ブラック・レディが別荘のある郊外からウィーンに戻ってきた事は、瞬く間に宮廷人達の知るところとなった。
「トシ、やっぱり怒ってる?」
「怒ってなんかねぇよ。アルフレド、前からお前に聞きたい事があったんだが・・」
「あ、次のレースが始まるよ!」
アルフレドは歳三の気を逸らそうと、椅子から立ち上がり望遠鏡でパドックを見た。
(ったく、上手い具合にはぐらかしやがって。)
歳三は溜息を吐きながら、周囲を見渡した。
ウィーン郊外にあるフロイデナウ競馬場で開催されるレースを観戦したいとアルフレドに連れられて競馬場に来た歳三であったが、貴族の社交場を兼ねているこの競馬場では、歳三の格好に否応なしに貴婦人達が好奇の視線を送ってきた。
普段は漆黒のドレスしか身に纏わぬ彼女が、この日に限って深緑のドレスを身に纏い、同系色の帽子まで被っていたのだから、ファッションに敏感な彼女らが気にするのも無理な話ではない。
「ちょいと外の空気を吸ってくるぜ。」
「うん、待ってるよ~」
夫はそう言いながらも、レースに夢中だ。
(ったく、男ってやつは・・)
レースの日傘をさしながら場内を歩いていると、ふと向こうから総司がこちらへと歩いてくるのが見えた。
いつもの袴に二本差しの姿ではなく、腰下までの白銀の髪は肩先で切り揃えられ、洋装姿だった。
「総司、総司なのか?」
総司に似た青年はにっこりと歳三に笑うと、背を向けて歩き出した。
「待て、総司! 待ってくれ!」
人混みを掻き分けながら、歳三は青年の後を追った。
「総司!」
漸く青年の腕を掴んだ歳三が見たものは、怪訝そうに自分を見つめる紫紺の双眸だった。
「あの、何か?」
青年はそう言って歳三を見た。
「人違いをしてしまって、ごめんなさいね。」
歳三は青年にそう頭を下げてくるりと背を向けて歩き出そうとした。
「もしかして、母さんなの?」
「今、何て・・」
歳三が振り向くと、青年はじっと自分を見つめていた。
「さっきソウジって言ったでしょう? どうして僕の父さんの名前を知っているの?」
青年の言葉を聞いた歳三は、レースで沸く客達の歓声が急に遠くから聞こえてくるような感覚に襲われた。
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