「千尋、さっきはどうしたんだ?」
「あいつら、真紀のサインが欲しいって言ってきたんです。僕は無理だって言っても、向こうは簡単に諦めてくれなくて・・」
「そうか。有名人の兄貴を持つと大変だな。」
「ええ。こんなの、一度や二度じゃありません。双子だから、余計に厄介なんですよね。」
千尋はそう言って溜息を吐くと、歳三から手渡されたクッキーを食べた。
「そういやぁ、真紀の担任と昼休みに少し話をしたんだが、あいつこのままだと留年するかもしれねぇな。」
「海外遠征を繰り返していると、出席日数が足りなくなるのは当然です。学業との両立は、レベルが上がれば上がるほど難しいです。」
「眞岡先生は真紀の事を特別扱いしないって言っていたからなぁ。これからどうなるんだか・・」
「それは、僕たちが心配することじゃないですよ。」
「そうだよな。なぁ千尋、真紀とは最近会っているのか?」
「いいえ。昔はよくお互いの家を行き来していましたけれど、今はメールで連絡し合っているだけです。」
「そうか。」
「土方先生、奥様が娘さんを置いて実家に帰ってしまわれたんですって?」
千尋の言葉を聞いた歳三は、思わずコーヒーを噴きだしてしまった。
「それ、誰から聞いた?」
「眞岡先生からです。」
「へぇ、そうか・・」
「あの人、変なんですよね。授業中に関係のないことを突然話し出したりして、みんな気味悪がっています。」
「そういやぁ、昼休みに眞岡先生と話している時、ほとんど先生一人が喋っていたような気がしたな・・」
「あんまりあの人と関わらないほうがいいですよ。」
千尋はそう言うと、鞄を持って椅子から立ち上がった。
「それじゃぁ、僕はこれで失礼しますね。」
「気を付けて帰れよ。」
千尋が学校から帰宅すると、リビングには一組の老夫婦が養父母とソファに向かい合わせになるようなかたちで座っていた。
「ただいま・・」
「ちーちゃん、お帰りなさい。こちらの方は、あなたのお祖父さまとお祖母さまよ。」
「初めまして、荻野千尋です。」
「あなたが、千尋君ね。」
和服姿の老婦人はそう言ってソファから立ち上がると、千尋に優しく微笑んだ。
「あの、うちに何のご用でしょうか?」
「千尋君、あなたのお母様に会いたくない?」
「え?」
「あなた達を産んだお母様・・朱莉(あかり)がね、あなた達に会いたくて堪らないってこの前うちに電話してきたのよ。ねぇ千尋君、わたし達と朱莉に会ってくれないかしら?」
千尋が返答に困り、育子の方を見ると、彼女は俯いて唇を噛んでいた。
「あなた方の娘さんとは会いたくはありません。」
「そう・・」
「来るだけ無駄だったな。」
憤然とした様子でソファから立ち上がった老人は、そう言って妻の手を掴むとリビングから出て行った。
「母さん、どうしてあの人達を家に上げたの?」
「あの人達と会いたくなかったんだけど、勝手に家に上がり込んできたから、追い出せなくて・・ごめんね、ちーちゃんに嫌な思いをさせてしまったわね。」
「母さんの所為じゃないよ。ねぇ、今日は父さんの帰りは遅いの?」
「ええ。夕飯は要らないって言っていたから、二人で外食でもしましょうか?」
「うん。」
千尋が育子とともに近くにあるファミリーレストランに入ると、奥のテーブル席から視線を感じた。
「ちーちゃん、どうしたの?」
「何でもない・・」
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