「母さん、ちょっと出かけて来るね。」
「何処に行くの?」
「すぐに帰ってくるから!」
琴子から電話を受けた千尋は、再びリュックを背負って自転車に跨ると、自宅を出て歳三が住むマンションへと向かった。
千尋がマンションの駐輪場に自転車を停めると、マンションのエントランスの前に立ち、歳三たちが住む部屋番号を押してロックを解除した。
「随分早かったわね。」
「あの、土方先生はどちらに?」
「主人なら奥で休んでいるわ。早く上がって頂戴。」
「はい・・」
琴子に部屋に招き入れられた千尋は、リビングが足の踏み場がないほど散らかっていることに気づいた。
「奥さん、本当に先生は奥の部屋でお休みになっておられるのですか?」
「そんなの、嘘に決まっているじゃないの。」
琴子はそう言うと、千尋を睨みつけた。
「あの電話ですが、あれは一体どういう意味ですか?」
「あんたの所為で、主人はここから出て行ったわ。お前とはもうやっていけないって、美砂の親権は俺がもつって言って・・」
「今、先生は何処に居られるのですか?」
「あんた、主人が何処に居るのか知っているんでしょう?」
「そんなこと、知りません・・」
「嘘つかないで!」
琴子は血走った目で再度千尋を睨むと、キッチンから包丁をとるとその切っ先を千尋に向けた。
「奥さん・・」
「あの人の居場所を教えなさいよ!」
琴子がそう叫んだ時、奥の部屋で赤ん坊の泣き声が聞こえた。
「美砂ちゃん、泣いていますよ?」
「うるさい、そんなことあんたに言われなくてもわかってる!」
琴子は包丁をキッチンの流しに置くと、美砂が寝ている部屋に入った。
彼女が部屋の襖を開けると、排泄物と吐瀉物が混ざり合ったような凄まじい悪臭がリビングに漂ってきた。
千尋が美砂の部屋に入ると、布団の上に寝かされている美砂のおむつは、排泄物でパンパンに膨らみ、彼女が着ている寝間着は垢で汚れていた。
「酷い、どうしてこんなことを・・」
「あたしにだってあたしの人生があるの!この子になんて構っていられないわよ!」
「あなたは、美砂ちゃんの母親でしょう?どうしてこんなひどいことができるんです?」
「うるさい、あんたに何がわかるのよ!」
琴子がそう言って千尋に向かって拳を振り上げようとしたとき、玄関のドアを誰かが叩く音がした。
「土方さん、いらっしゃるの?」
「助けてください、子供が死にそうなんです!」
マンションの管理人が部屋に入ると、奥の部屋には育児放棄され、排泄物と吐瀉物に塗れた美砂の姿と、ヒステリックに泣きわめく琴子の姿があった。
「あなたは、どなたなの?」
「土方さんの教え子です。美砂ちゃんを早く病院に連れて行ってあげてください。」
「わかったわ。」
夜明け前、歳三は警察から美砂が入院したという連絡を受け、彼女が入院している病院へと向かった。
「土方先生・・」
「千尋、お前どうしてここに居るんだ?」
「奥さんに、マンションの部屋まで呼び出されたんです。そしたら、美砂ちゃんが奥の部屋で・・」
「琴子に呼び出された?」
「ええ。奥さんは、僕の所為で自分の家庭が滅茶苦茶になったって、僕を責めて・・」
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