※動画はイメージです。
千代乃が男と共に船室に戻ると、テーブルの上には豪華な朝食が置かれていた。
「今朝は随分と早起きだったな?」
「ええ。あなたと同じ空気を吸うのが苦痛になってきまして。」
「そうか。」
千代乃の嫌味を聞いても、男は眉ひとつ動かすことなくそう返すと、少し冷めた珈琲を飲んだ。
「わたしを何処へ連れて行くつもりですか?」
「何回同じ質問ばかりすれば気が済むんだ?」
「あなたがわたしの質問に答えてくださらないから、こうして何度も聞いているのです。」
「可愛げのない奴だ。そんな性格でよく芸者が務まったものだな?」
「可愛げがないのは、あなたの前だけです。」
千代乃はそう言って男を無視すると、自分の前に置かれているスクランブルエッグを食べ始めた。
「先ほど、満州で一旗揚げると言っていた女と会いました。」
「ああ、奈津子か。」
「お知り合いなのですか?」
「まぁな。飯を食べたらホールへ来い。お前に会わせたい奴が居る。」
男はそう言うと、船室から出て行った。
千代乃が朝食を済ませてホールへと向かうと、ソファに座っていた軍服姿の男がゆっくりと立ち上がり、千代乃の方へと歩いて来た。
「お前が、千代乃か?」
「はい、そうですが・・あなた様は?」
「わたしがわからんのも無理はない・・お前は生まれてすぐに、新橋の置屋へ養子に出されたのだからな。」
軍服姿の男は桐生和哉と名乗り、千代乃の実父であることを千代乃に明かした。
千代乃は、今自分の前に立っている桐生が自分の実父であるという衝撃的な事実を告げられても、何も感じることはなかった。
そもそも、自分に父親が居る事など知らずにいたし、藤子は千代乃に自分の父親について何も話してはくれなかった。
「やはり驚いているのだろうな、突然実の父親が現れたのだから。」
能面のような顔で自分の前に立っている千代乃を見た桐生は、そう言って溜息を吐くと千代乃を抱き締めた。
「桐生さん、お久しぶりです。」
二人が背後を振り向くと、そこには鮮やかなチマ=チョゴリを纏った数人の女性達の姿があった。
「スヨン、久しいな。その格好はどうした?」
「これから舞台で、花冠舞(ファンガンム)を踊るんです。そちらの方は?」
女性達の中からリーダー格と思しき一人の女は、そう言うと桐生の隣に立っている千代乃を見た。
「これは、わたしの子で千代乃という。千代乃、こちらはわたしが懇意にしているスヨンさんだ。」
「初めまして、千代乃と申します。新橋で芸者をしておりました。スヨンさん、お仕事は何をされていらっしゃるのですか?」
「あなたと同じような仕事をしているわ。わたしはね、朝鮮で妓楼を経営しているの。これから仲間と踊るのよ。あなたも良かったらわたし達の舞を見ていかない?」
「喜んで拝見いたします。」
「有難う。」
どうやらこの女性とは気が合いそうだーそう思いながら千代乃は、桐生とともに劇場の中へと入った。
客席は満席状態で、開演まで観客達は雑談で盛り上がっていたが、開演のブザーと共に緞帳(どんちょう)が上がってスヨン達が舞台上に現れると、彼らは急に静まり返った。
やがて太鼓と笛の音が舞台上に響き、スヨン達の花冠舞が始まった。
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