「おかあさん、只今戻りました。」
「お帰りやす。」
屯所で仕事を終えた千尋が『いちい』に戻ると、お座敷から帰って来た鈴江が彼に絡んできた。
「随分と遅かったね、何処へ行っていたの?」
「それは、貴方には関係のない事です。」
「ふぅん、そう。そういえば昼間、西本願寺に呉服屋が来たそうだよ。噂だとあの土方が祝言を挙げるってさ。相手は誰なのだろうねぇ?」
「さぁ、存じ上げません。あの土方の所に嫁入りする女子は、大層肝が据わっている方なのでしょうね。」
千尋は総司と歳三の祝言の事を聞きつけた鈴江から話を振られ、淡々とした口調で答えると、彼は舌打ちして二階の自室へと消えていった。
(壁に耳あり、障子に目あり・・油断できませんね。)
一方、西本願寺にある新選組の屯所では、呉服屋が長崎から取り寄せたウェディングドレスの生地を歳三達に見せていた。
「こちらはエゲレスで最高級のものを取り寄せたものどす。」
「見事なものだな。生地もいいし、刺繍の模様も気に入った。これなら総司に似合いそうだ。」
「おおきに。」
「これは生地の代金とは別に俺からの礼金だ。」
歳三はそう言うと、呉服屋に懐紙で包まれた小判を手渡した。
「うわぁ、綺麗。まさかこんなに早く来るとは思ってもいませんでした。」
副長室に入った千は、畳の上に広げられた純白の生地を見て歓声を上げた。
「これから色々と教えてくれよ、千?」
「はい、喜んで!」
千が歳三と共にウェディングドレスを縫い始めた時、副長室に近藤がやって来た。
「トシ、頑張っているな。」
「あぁ。これを着て総司が喜ぶ顔を早く見てぇんだ。」
「そうか。それにしても千君はどうして縫物が得意なんだ?」
「母がウェディングドレスの職人さんをしていて、昔何度か母の仕事場に行っては母が仕事をする姿を見ていたので、独学で覚えました。それに、裁縫が好きなので、将来は母と同じような仕事に就きたいと思っています。」
「志が高いのはいいことだ。トシ、俺はもう行くぞ。」
「あぁ、気を付けて行けよ、近藤さん。」
会津藩の会合へと向かう近藤を見送った歳三は、再び千とウェディングドレス作りに精を出した。
「西洋の着物は縫う所が多くて大変だな。」
「そうですね。まぁ、僕は和裁の方が洋裁とは勝手が違うので未だに慣れませんね。」
千と歳三がそんな話をしていると、副長室に総司が入って来た。
「綺麗ですね。本当にわたしが着てもいいのですか?」
「いいに決まってんだろう。お前ぇの為に特別にこの生地を取り寄せたんだぜ。」
「何だか夢みたいです、わたしが土方さんのお嫁さんになるなんて。」
総司は嬉しそうにウェディングドレスの生地を撫でると、そう言って笑った。
その横顔を見ながら、千は新選組がこれからどんな運命を辿るのかを知っているので少し居た堪れない気持ちになった。
「どうした、千?」
「いえ、何でもありません。」
(余計な事は考えるな。目の前の事に集中しろ。)
そう自分に言い聞かせ、千は作業を再開した。
その日の夜、千が夕餉の支度を終えて厨から出ようとした時、庭の方から何か物音がした。
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