「では、また何かありましたらご報告に参ります。」
「わかった。」
夕餉の前に、千尋は副長室で歳三に挨拶を済ませ、屯所から辞した。
「荻野さん、もう置屋に帰ってしまわれたんですか?」
「ああ。総司の所には挨拶を済ませたそうだが、何処かあいつはよそよしい態度を取っていたと、さっき斎藤から聞いた。」
文机の前で書類仕事をしていた歳三はそう言うと、筆を硯の上に置いて溜息を吐いた。
「千、まさかお前何かあいつに余計な事を言ったんじゃねぇのか?」
「いえ、何も。ただ、沖田さんの悪阻が酷いとしか・・」
「馬鹿野郎、あいつにそんな事を話したのか?」
千の言葉を聞いた歳三は、突然烈火の如く怒り出した。
「土方さん、僕何かいけない事でもしましたか?」
「もういい、出ていけ。」
歳三に副長室からつまみ出され、千が溜息を吐きながら廊下を歩いていると、そこへ近藤がやって来た。
「どうした、千君?溜息なんて吐いて。もしかして、トシにまた怒られたのか?」
「はい、そんなところです。ただ荻野さんに沖田さんの悪阻が酷いことを話しただけなのに、どうしてあんなに怒られないといけないのか、わからないんです。」
「そうか・・千君、良かったら俺の部屋で茶でも飲まんか?さっき山崎君が団子を買って来てくれたんだ。」
「有難うございます、頂きます。」
千はそう言って近藤に頭を下げ、二人分の茶を淹れて局長室へと向かった。
「失礼いたします。近藤さん、お忙しいのに僕の為に時間を割いてくださり、ありがとうございます。」
「いや、そんなにかしこまらなくてもいい。それよりも千君、君は何故トシから怒られたのかを、まだ解らないのかい?」
「はい。僕、色恋には疎いので、荻野さんが土方さんに想いを寄せている事を知っている癖に、意地悪な事を言いました。それで、土方さんが怒ったんじゃないかと・・」
「トシは君にきつく当たるところがあるが、それはあいつが君に目を掛けている証拠だと思ってくれていい。鬼の副長と呼ばれている手前、君を可愛がっているところを他の隊士達に見られたら、色々と面倒な事になると思って厳しく接しているんだ。」
「解っています。僕はこれからどうすればいいですか?」
「暫くトシをそっとしておいてやれ。千君、そんなに落ち込むことはない。誰にだって失敗はあるさ。」
近藤はそう言うと、千を励ますかのように彼の肩を優しく叩いた。
「そうだ、総司が好きな菓子を今から買って来てくれないか?店の住所はこの紙に書いてある。」
「わかりました。あの、何を買って来れば・・」
「最近あいつは金平糖が好きでなぁ。金平糖であれば、何でもいい。」
「わかりました。では、行って参ります。」
近藤から店の住所が書かれている紙と、菓子代を受け取った千は西本願寺の屯所から出て、総司が最近気に入っている金平糖の店へと向かった。
「お越しやす。」
「すいません、こちらの金平糖を一袋ください。」
「へぇ、かしこまりました。」
店員に菓子代を千が渡していると、店に千尋と見知らぬ芸妓が入って来た。
「まぁ鈴江さん、お越しやす。そちらの舞妓ちゃんは?」
「ああ、女将さんにはまだ紹介してへんかったなぁ。うちの妹分の、千尋といいます。千尋、女将さんにご挨拶しよし。」
「へぇ。女将さん、千尋と申します。これから宜しゅうお頼申します。」
そう言って千尋が店の女将に挨拶していると、鈴江の目が千の姿を捉えた。
「いやぁ、千尋と瓜二つの顔をしてはるわ、あの若侍さん。」
「姐さん、もうすぐお座敷の時間どす。」
千尋はゆっくりと千に近づこうとする鈴江の手を掴むと、そう言って彼を制した。
「何や、つまらへんなぁ。ほな女将さん、また来るわ。」
「これを、副長に。」
千尋は千の耳元でそう囁くと、振袖の懐から文を取り出し、それをそっと千に握らせた後、鈴江と共に店から出て行った。
千が店から出て屯所へと戻る道すがら、彼は何者かに尾行されている事に気づいた。
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