深せん市中心にある「蓮花山公園」
市政府を後に、蓮花山へ向かいます。その前に、深セン市を復習しておきますと、深せん市は、ご存じの通り、1980年に経済特区に指定されて、急速な発展を続けて来ました。同時期に珠海、汕頭、福建省のアモイも経済特区に指定され、1988年には海南島も追加されましたが、深せんは、香港と接している有利さもあるのか、他の地域より抜きんでた発展し、現在での、市内総生産では、上海市、北京市、広州市に次いで、中国大陸第4位であります天安門事件の後、改革が停滞局面に陥った時、1992年、と小平氏が深せんを視察し、「南巡講話」を発表したのは、有名な話です。と小平は、改革開放政策のさらなる発展の大号令を発したのです。そして、この南巡講話を契機にして、改革開放が再び軌道に乗ったと言われております。従いまして、深せん市としては、と小平と、深い関係にある思っているはずで、この蓮花山にも、彼の銅像が立っており、深せん市を見下ろしているのです。公園の広場では、多くの市民が、凧揚げをしております。蓮花山は、全体が公園になっており、これが蓮花山公園の全景です。市内中心部にありますが、広大な敷地面積を持ち、市民の憩いの場所になっております。広い芝生の広場では、今は、凧揚げしている人が多いですが、シートに座って寝ころんだり、ピクニック気分を楽しんでいる人達もいます。日本のように、「芝生内立入禁止」の看板はなく、自由に走り回っています。蓮花山の頂上へ皆さん、登って行きます。我々も、登って見ます。前述の、と小平さんの銅像がありました。市内を見下ろし、市政府が見える絶好の位置に、銅像はあります。深せん市は、市を経済発展に導いてくれた、と小平氏を永遠に忘れないよう、ここに銅像を建てたのでしょう。山を降りて来ると、出口近辺にも、花で飾られておりました。遅い昼食を食べました。彼女は、節約家なので、アジアの星一番がいつも行く食堂的な所で、食べたいと良い、粉麺を注文しました。アジアの星一番は、お粥を注文しました。重慶に居た時、日本語を教えた後、良く、お粥屋に行って一緒に食べたのを思い出したからです。重慶では、お粥専門店だったので、ここで食べたお粥より、ずっと美味しかったなー、と懐かしく思い出しながら食べました。お粥だけでは、足りないので、水餃子も頼みました。これは、美味しかったです。アジアの星一番のアドバイス前から、就職した会社を辞める意向は固めつつあったようですが、本日の話しで、辞める事に決めたようです。いくら若くても、毎日、夜の9時過ぎまで働いて、家に帰っても働き、しかも残業代も貰えず、寝るのが、夜中になってしまう生活は、酷です。さらに、きちんとした翻訳をしようとしても、間違っていても良いと言う社長の元では、やる気も失せますし、進歩がありません。沢山の会社があるので、きっと、今より、良い仕事が見つかるでしょう。尚、先日、皿洗いの給料、2200元の募集広告があったと書きましたが、2010年のデータなので、ちょっと古いですが、深せん市の労働者の平均給与は、月収で、4000元だったそうです。今はもっと上がっているでしょうし、他の地域に比べて、高いでしょうね。