ライブ8の深層(五)アフリカ大陸争奪戦
miyuco さんの書き込みで言っている渋谷陽一のライブエイド批判は「ロックはどうして時代から逃れられないのか」に載っている。内容はこゝでは触れない。 さて、昨日の続き。 イギリスはアフリカへの武器輸出で儲けているのだが、そもそもアフリカが武器を必要とするわけは、部族間の争いがあるからである。 しかし、その部族闘争を生み出したのは他ならぬイギリスを始めとする欧州諸国である。 アメリカ大陸からの搾取で得た資金を元にイギリスで産業革命が起り、それが欧州各国に拡がるにつれて拡大する産業を支えるため、欧州各国は競ってアフリカ大陸を植民地化するようになった。人道無視、国家ぐるみの大犯罪 十六世紀から十八世紀にわたる奴隷貿易は、欧州、アフリカ、新大陸の三大陸に股がる三角貿易によってがっちりと組み立てられ、欧州に莫大な利益をもたらしたのである。参加した国は、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスの五ヵ国である。 奴隷商人たちは、ヨーロッパから安物のビー玉、火器(銃器)、木綿の工業製品をもってアフリカ・ギニア湾岸にいたり、黒人奴隷と交換し、奴隷を南米ブラジルや西インド諸島で売り飛ばした。次にその金で土地の砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなど亜熱帯農産物をしこたま積んで、ヨーロッパに帰ってくるのである。三角貿易の完成だ。この貿易は一貿易で三重の利益が得られる。中で最も巨利を博したのはイギリス、フランスであった。 奴隷貿易の最盛期を迎えるのは、十八世紀である。推計では十六世紀は九〇万人、十七世紀は三〇〇万人、十八世紀は七〇〇万人、十九世紀は約四〇〇万人が奴隷として売買されたといわれている。概算一五〇〇万人である。一人の黒人を新大陸に連れて行くまでに、五人の黒人が中途で死んだという恐るべき推計があるから、アフリカから働き盛りの黒人が数千万人から一億人近く連れ出されたことになる。 黒人奴隷を一番多く移入したのはカリブ諸島で約四〇パーセントを占め、次に砂糖のプランテーション労働などのためブラジルへ三八パーセントが運ばれた。残りはアメリカ南部のプランテーションである。 アフリカは大きな大陸でありながら、現在世界一過疎の大陸になったのは、働き盛りの男子を大量に新大陸に奪い去られたからである。 その後、十九世紀にいたるヨーロッパ列強の、アフリカ分割植民地支配を受けて、現在のアフリカの貧困、民族紛争も、すべて白人の勝手な収奪、不合理な民族分割の結果である。特に人身売買、奴隷貿易などの人類史上の大犯罪は、イギリス、フランスなど国家自らが組織的に犯したのである。 なお十六、七世紀に新大陸から大量の金銀がヨーロッパに奪い去られていった。その苛酷な鉱山労働に、インディアンと黒人奴隷が酷使された。ヨーロッパにもたらされた金銀は、やがて産業革命からヨーロッパ資本主義の原資となった。 また、この金でヨーロッパ商人はアジアから香辛料、茶、ゴムなどを大量に買い入れて儲もうけた。これもアメリカ、ヨーロッパ、アジア大陸に股がる三角貿易として、ヨーロッパに巨万の富をもたらしたのである。非白人の汗と血と苦痛の収奪、犠牲で支えられたことを忘れてはならない。ヨーロッパ列強のアフリカ完全分割 十八世紀後半にイギリスで産業革命が進み、そして十九世紀のはじめには、イギリスは「世界の工場」と言われるまでの経済の黄金時代(ビクトリア時代)を迎えた。これに刺戟しげきされてフランスもアメリカも、一八三〇年代から、ドイツは一八四〇年代から、ロシアは一八六〇年代から、それぞれの産業革命が起こり始めた。 このため十九世紀末期から二十世紀初期になると、ヨーロッパ列強では産業に必要な物産資源の獲得と市場拡大のため、より以上の植民地の必要性が急激に高まってきた。各国間での産業競争が激しくなるにつれて、欧州外での植民地争奪競争もまた激化した。 ヨーロッパ人にとってアフリカは、北部の地中海沿岸地域が知られていたのみで、広大なサハラ砂漠が横たわる背後の地域は、魅力のある土地ではなかった。ただ黒人を奴隷狩りして、つかまえ、新大陸に売り飛ばす点にのみ、関心が集中していた。 しかし十九世紀の半ばになり、さしもの奴隷貿易が下火になる一方、リヴィングストンやスタンレーら、白人によるアフリカ内陸部の探検が盛んになるにつれて、ヨーロッパ列強は目の色を変えてこの大陸に突進してゆくことになった。 一八七〇年代、アフリカにおける白人の支配地は、沿岸部を中心とする一〇パーセントぐらいだった。ところが、一九〇〇年には、エチオピア、リビア、南アを除くすべての土地が、白人のむしり取る格好の場となった。まるで無人の野を行くが如く、早いもの勝ちのすさまじい分捕り合戦が始まった。 一番たくさん分捕ったのがフランスで、イギリスが二番目、以下ドイツ、ベルギーと続き、最後がスペイン、イタリアである。しかし、フランス領には広大なサハラ砂漠が含まれるので、実質一位はイギリスといってよい。 フランスはアジアとアメリカ大陸でイギリスとの植民地争奪戦争に敗北したので、その分をアフリカで取り戻そうとして広大な土地を手に入れたが、その大部分は砂漠であった。ところが、イギリスは、エジプト、東アフリカといった主要部分を、実に計画的、地政学的に取得してきた。さすがイギリスは七つの海を支配するだけの、第一級の植民地大泥棒国であることを実証した。清水馨八郎「侵略の世界史 この五百年、白人は世界で何をしてきたか」より 二十年前ボブ・ゲルドフが「同情するなら金をくれ!」と掻き集めた金は結局何の役にも立たなかった。アフリカ復興に必要なのは金じゃないと言う事が解っていないのだこいつは。結局コマーシャリズムの餌食になった。 今回は一つ利口になったようでボノが「結局、政治家が動かないと貧困の構造は変わらない」と言ったように、G8への呼びかけという形をとっている。"By doubling aid (援助倍増), fully cancelling debt (債務免除), and delivering trade justice for Africa (公正貿易の実現), the G8 could change the future for millions of men, women and children." (ライブ8公式ページより) 結局金である。二十年たっても進歩がない。進歩したのは自分で金を集めるのではなく政治家に金を出させようとしていることだけ。 しかし「英国式無銭外交 一」「英国式無銭外交 二」で紹介したようにライブ8のお題目はその政治家が以前から言っていることと変わりがない。つまり、政治家を動かすと言いながら、実体は政治家の広告塔として利用されているだけである。〈一〉最貧国の債務免除〈二〉援助金の大幅増額〈三〉アフリカの輸出機会を増やすための公正貿易の実現 結構、大いにやってくれ。だがそれをしなければならないのは奴隷貿易と植民地支配でアフリカに飢餓と貧困と内部紛争を引き起こしたヨーロッパである。 日本にたかるのはやめてくれ! 明日に続く。 ライブ8の深層Dark Side of the Live8(一)政治に利用されるロックスター(二)英国式無銭外交 一(三)英国式無銭外交 二(四)残虐非道の奴隷狩り、奴隷貿易(五)アフリカ大陸争奪戦(六)諸問題の根源は全てヨーロッパ(七)アフリカは蘇るか?(八)英国政府のお先棒を担ぐゲルドフ(九)ジュビリー二千の日本非難(十)ホントはやりたくなかった日本公演(十一)英国の対アフリカ武器輸出が四倍に ライブ8に思うWhen the Live8 is Over平成十七年 六月二十四日 Sly & the Family Stone "Don't Call Me Nigger, Whity" を聴きながら