エリオットマーフィーの『ドライブオールナイト』
エリオットマーフィーの『ドライブオールナイト』と出会ったのは高校生のとき。ルースターズのカバーバージョンを通してだった。ルースターズのカバーバージョンも素晴らしかった。それもあって『ドライブオールナイト』という曲は自分にとってある意味を持つ曲となった。それは一言でいうと「逃走」の歌。色々なしがらみだとか、面倒な決まりであるとか、自分ではどうしようもない強制されたルールといったことから、一瞬の間でいいから逃れたい。そんな願いを歌った曲であると僕は想像した。 ルースターズのカバーバージョンが入っていた『インセイン』のCDには当然その英詩の訳などついていない。だから自分でその歌詞を読んで勝手にその歌詞を解釈していた。 WON’T YOU BE MY NIGHT CONNECTION 日本語訳にしてしまうと「今夜一緒に過ごそうよ」くらいになってしまうのだろうけど、英語だといくらでもその言葉に思い入れを込める事ができる。僕はその一行にもっと強い意味を与えた。「今夜一晩だけでもいいから、自分に運命を委ねてくれないか。しがらみだらけのこの世界から逃げ出す逃避行のヒロインとして僕と一緒に過ごしてくれないか。たった今夜一晩だけ。それでいいから。」 バイクも乗らない。キスすらしたこともない。そんな高校生だった僕にとって、それは本当に夢のような幻想だった。多分絶対かなう事のない幻想。それは自分自身、よくわかっていた。だからこそ輝いて見えた。そういう夢のような願望をこの曲に託していた。 高校を卒業した。その後もそんな素晴らしい言葉を言える機会なんてなかった。それに高校を卒業してからの方がしがらみだとか面倒臭い事だとかが多くなってきた。そういうのは疲れる。本当に疲れる。時々嫌になる。そんな気分で満員の帰宅列車に乗るとき、フッと『ドライブオールナイト』を頭の中でレピートしていた。 現実には不可能な逃避行。それに同行してくれる幻想上のヒロイン。そんなことを想像しながらちょっと力を抜いてみれば少しだけ気持ちが楽になる。そうやって僕は何とかここまでとりあえずは生きて行くことができた。『ドライブオールナイト』一曲だけではないけど、そんな疲れきった曇り空の夜を流星の輝くロマンチックな夜に変えてくれる「嘘」によって僕はこれまで生きて来れたんだ。よくそんなことを思う。 『ドライブオールナイト』にはこれだけではなく、ロマンチックなフレーズがもっと沢山ちりばめられている。 「何処へ行くかなんて聞かないでくれ 僕は光とレースするんだ」 「ダイナマイトが必要さ」 「もし朝日が僕等を捕まえようとしたら 窓を真っ黒に塗りつぶしてやるんだ」 「君が僕の反映なら 今までの辛い思い出は全て捨ててしまおう」 それは全て逃走にかかわることだった。たった一晩だけの逃走。ルースターズの曲はそれよりも、一晩よりも短い。せいぜい五分弱だ。それが切なかった。せめてもっと長い間、夢や幻が続いてほしい。でもそれはもともと無理な話なのだ。 それから十数年経って、今年の九月に僕は生まれて初めてエリオットマーフィーのオリジナルの『ドライブオールナイト』と出会う事になった。エリオットマーフィーのアルバムは長いこと廃盤になっていて、去年初めてCDとして日本盤がリリースされたのだ。 ルースターズのアレンジと、オリジナルは違う。でもオリジナルもルースターズのバージョンと同じくらい、いやそれ以上に美しくて切なくてそして救いようがないくらいロマンチックだった。だから僕はこの曲を何度も何度も取りつかれたように聞き返していた。オルガン、ギター、サックス、その他のインストルメンタル。その一音一音を確かめるかのように何度も何度も聞きなおした。 四分弱に込められた色々な思い。夢。幻想。昔の自分と今の自分。かなうことができたこと、できなかったこと。それらのことを思い起こしながら『ドライブオールナイト』を聞きなおした。 訳詞を見たら、僕がその曲に託していた事と同じような内容がそこに書かれていた。僕の理解はそんなに間違っていなかったのだ。 僕の周りの世界は相変わらずだ。高校生の頃に比べて自由になれた気もするが、その分どうにもならないことも増えてきた。年を取るということはそういうものなのだろう。 たとえ一晩逃げられたとしても戻ってくる場所はここしかない。そんな否定しがたい事実も少しはわかってきた。 それでも僕は今でも疲れた夜には逃げたいと思うときがある。誰でもいい。WON’T YOU BE MY NIGHT CONNECTIONと言える相手がいてくれればなぁと思う。 そんな僕は今もまだ、未成熟な子供大人なんだろうな。そう思う。